更新日: 2024年1月22日
小幡藩の歴史~織田家の統治によって発展した町には大名庭園「楽山園」もつくられた
甘楽町小幡地区は、織田信長の次男・信雄から8代にわたり織田氏に統治された町。
信雄が築いた大名庭園「楽山園」の紹介とともに、町の歴史にふれてみましょう。
目次
小幡藩の歴史からつくられた甘楽町小幡ってどんな町?
小幡(おばた)は、群馬県南西部に位置する甘楽町(かんらまち)にある城下町。今もなお武家屋敷や町家が残る古い町並みが広がり、「名水百選」や「世界かんがい施設遺産」などにも選ばれた雄川堰(おがわぜき)がある、情緒あふれる町です。
小幡藩の歴史は権力者たちの変遷によってつくられた
かつては、鎌倉時代から名の知られた豪族・小幡氏の本拠地として栄えていました。しかし、本能寺の変以降勢力を弱めた小幡氏は、徳川家康に甘楽の地を明け渡して信州へ逃れます。
その後25年間で5度領主が入れ替わった後、慶長20(1615)年の大坂夏の陣で豊臣氏が滅びると、天下統一を果たした徳川家康が、織田信雄(のぶかつ)に奈良県の大和国宇陀郡(やまとのくにうだぐん)3万石と、群馬県の上州小幡2万石を与えました。ここから織田氏8代、152年間にわたる歴史が続いていきます。
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