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新田義貞はどのようにして鎌倉幕府を倒したのか

運命の歯車が動き出したのは元弘3(1333)年。この頃、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)による討幕命令を受けた楠木正成(くすのきまさしげ)が大坂の千早城(ちはやじょう)で挙兵していました。対して鎌倉幕府は正成討伐軍を組織。当然、新田義貞の下にも討伐軍に参加するよう幕府の命令が来ました。

新田義貞は討伐軍への参加を拒否して倒幕へ

ですが後醍醐天皇の子である護良親王(もりよししんのう)から書状を受け取っていた新田義貞は、仮病を使って討伐軍参加を拒否。その後、幕府から軍費調達のために訪れていた徴税使を斬り捨てると、討幕の決意を固めて行動を起こします。

新田義貞軍は挙兵からわずか15日で倒幕

元弘3(1333)年5月8日、新田義貞は生品神社(いくしなじんじゃ)(太田市新田市野井町)で挙兵すると、150騎の兵とともに鎌倉を目指しました。途中、八幡荘(やわたのしょう)(現・高崎市)で信濃と越後の軍勢と合流。各地で幕府軍と戦いながら、一気に攻め上って鎌倉の包囲に成功します。

そうして鎌倉幕府のトップである北条高時(ほうじょうたかとき)らを自害に追い込み、見事に討幕を成し遂げました。挙兵してからわずか15日間のできごとでした。

新田義貞の伝説が残る地、稲村ヶ崎

海岸を行軍中の新田義貞軍は稲村ヶ崎で足を止めました。切り立った崖と海に先を阻まれたためです。伝説によれば、ここで新田義貞は家宝の黄金刀を海に投げ入ると、潮が引いて道が現れたといいます。

新田義貞の群馬から鎌倉への挙兵の道すじ

新田義貞の群馬から鎌倉への挙兵の道すじ

各地で軍を吸収し、小手指河原や分倍河原で幕府軍との苦戦に勝利しながら進軍、鎌倉を三方から攻めました。この間わずか15日。

新田義貞が倒幕に成功した理由

たった15日で幕府を倒せたのにはいくつか要因がありました。まず背景として武士たちの鎌倉幕府に対する極度の不満があります。

理由は2つ。1つは大きな戦いに勝利した(2度にわたる元寇(げんこう))にもかかわらず、恩賞が得られなかったこと。もう1つは権力者である北条氏による身内びいきの腐敗した政治に嫌気がさしていたことです。

幕府に対する不平という下地があったからこそ、後醍醐天皇は討幕の引き金を引くことができ、新田義貞を含め呼応する者たちが現れました。

新田義貞のタイミングの良さも追い風に

一方で新田義貞が動いたタイミングが抜群によかったことも大きな理由となっていました。

実は新田義貞挙兵より以前に、足利尊氏は幕府に反旗を翻していました。尊氏は幕府の京都における出先機関である六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻め滅ぼしており、幕府の力は削がれていたのです。

加えて進軍中の新田義貞軍が、尊氏の子である千寿王(せんじゅおう)を途中で迎え入れたこともプラスに働きました。千寿王の擁立により、新田義貞軍に合流した軍勢はかなりの数にのぼったとされ、新田義貞軍は20万騎まで膨れ上がったと記す歴史書もあります。

新田義貞の末路

倒幕後は後醍醐天皇による建武(けんむ)の新政(しんせい)が始まります。功績を認められた新田義貞は、いくつかの国を治める国司(こくし)に任命されました。

しかし後醍醐天皇と足利尊氏の権力闘争が始まると、新田義貞は後醍醐サイドとして担ぎ出されたあげくに敗北。越前(福井県)へ逃れて再起を図るも、追手との戦いで命を落とし、故郷の土を再び踏むことはありませんでした。

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