更新日: 2024年1月13日
稲葉山城を陥落させた美濃攻略戦~粘り強い攻勢と調略が実を結んだ
どうしても斎藤氏に勝てなかった織田信秀・信長父子。西美濃三人衆の内応を得て稲葉山城を落としました。
目次
稲葉山城を陥落させた美濃攻略戦~どうしても斎藤氏に勝てなかった織田信秀・信長父子
美濃の斎藤道三の娘・濃姫(のうひめ)(帰蝶(きちょう))を妻に迎えた織田信長は、義父・道三から「美濃の国譲り状」を渡されたと言われるほど、美濃と良好な関係を築いていました。しかし弘治(こうじ)2年(1556)に、道三が長男・義龍(よしたつ)に討たれると、信長と斎藤家は再び緊張関係に突入します。
尾張を平定し、今川義元に勝利した信長は上洛を企図し、交通の要衝(ようしょう)である美濃の攻略を目指しますが、義龍に撃退されてしまいます。
ところがその義龍が永禄4年(1561)に急死します。信長は龍興への代替わりを好機と捉(とら)え、すぐさま美濃に出兵。森辺(もりべ)(森部)の戦いや十四条(じゅうしじょう)の戦いなどを展開しました。
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