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三好長慶の戦略地図~主家細川氏を追い四国と畿内で政治を展開

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

三好長慶の戦略地図~主家細川氏を追い四国と畿内で政治を展開

父の仇・細川晴元を追い、三好政権が京都に誕生。畿内の当主を、四国の兄弟が二元体制で支ました。

三好長慶の戦略地図~父の仇・細川晴元を追い三好政権が京都に誕生

戦国期、最初に実力で京都を掌握したのが三好長慶(みよしながよし)です。

長慶の父元長(もとなが)は阿波守護の細川氏に仕え、細川晴元(はるもと)を管領に擁立して晴元政権を誕生させたが、のちに晴元と対立し謀殺されました。

嫡男の長慶は翌年の天文2年(1533)、12歳ながら軍勢を率いて上洛。のちに晴元と和睦して摂津(せっつ)国守護代になると、晴元政権下で次第に頭角を現わし、武力で勢力を拡大していきます。

ついには、天文17年(1548)、父の敵である晴元に反旗を翻し、翌年、晴元と将軍・足利義輝(よしてる)を追放。天文22年(1553)、幕政の実権を掌握し三好政権を樹立しました。5年後に義輝と和解して京へ迎え入れますが、三好政権の傀儡に(かいらい)過ぎなかったのです。

四国の弟たちによる支援体制に支えられた三好政権

阿波・伊予・讃岐・淡路に割拠する一族のバックアップ体制を整えた三好長慶は、足利将軍家と結んで畿内へ進出すると、父の仇である三好政長を討ち、足利義晴と管領・細川晴元を京より追って畿内をも掌握しました。

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