更新日: 2024年1月20日
観応の擾乱~尊氏と直義の骨肉の争い!
足利尊氏・直義兄弟は二頭政治を行っていましたが、やがて対立し、全国規模の内乱を繰り広げます。それは「日本史上最大の兄弟喧嘩」といわれるほど激しいものでした。
【要点はココ!】
◎足利尊氏・直義兄弟の二頭政治が崩壊します。
◎尊氏・高師直対直義という構図で展開した観応の擾乱は、尊氏方が勝利しました。
観応の擾乱は二頭政治の終わりから始まる
南北朝時代になって3年後の1339(延元(えんげん)4・暦応(りゃくおう)2)年、後醍醐天皇は病死しました。北畠親房や楠木正行などの武将も敗戦あるいは戦死しており、南朝の命運はもはや風前の灯です。そうしたなか、幕府内でも内部抗争が発生します。二頭政治を行っていた足利尊氏・直義兄弟が衝突したのです。
当時、将軍の足利尊氏には執事の高師直が補佐役として仕えていました。師直は強力な軍事力をもち、革新的な政権をつくろうとしていましたが、副将軍の立場にあった足利直義は保守的な政権を目指していたため折り合わず、次第に対立を深めていったのです。
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