更新日: 2024年1月20日
足利尊氏は政府打倒を目指してついに後醍醐天皇と決別!
足利尊氏(あしかがたかうじ)はついに後醍醐天皇と決別!政府打倒を目指します。
【要点はココ!】
◎建武の新政に不満を抱いた武士たちが足利尊氏の反乱を後押ししました。
◎足利尊氏は新田義貞や北畠顕家と激戦を繰り広げて勝利します。
◎足利尊氏が「建武式目」を制定したことにより室町幕府が成立しました。
足利尊氏は後醍醐天皇に反旗を翻した
1335(建武2)年7月、建武の新政に対する武士の不満が爆発します。鎌倉幕府最後の執権北条高時(ほうじょうたかとき)の遺児である北条時行(ときゆき)が、幕府再興を目指して挙兵し、鎌倉へ攻め込んだのです(中先代(なかせんだい)の乱)。
建武政府側の足利尊氏は、後醍醐天皇に自身の東下(とうか)と征夷大将軍への任命を求めますが、後醍醐天皇は足利尊氏の裏切りを警戒して認めませんでした。しかし、足利尊氏は許可を得ぬまま鎌倉へ出発し、北条軍を壊滅させます。そして後醍醐天皇の帰京命令を無視して鎌倉にとどまり、勢力拡大をはかりました。こうして足利尊氏は反後醍醐・反朝廷の立場を示したのです。
足利尊氏、怒涛の進軍!
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