目次
後醍醐天皇をはじめとする反幕府勢力が勢いを増し鎌倉幕府滅亡へ追い込む
【要点はココ】
◎正中の変・元弘の変の失敗後も、討幕運動は続きました。
◎足利高氏が裏切って反幕府勢力に加担したことにより情勢が大きく変わりました。
◎新田義貞が鎌倉幕府を滅亡に導きました。
後醍醐天皇は隠岐から脱出し北条氏の追討を命じる
後醍醐天皇による2度の討幕計画はいずれも失敗に終わり、後醍醐天皇は隠岐へ流されました。しかし、討幕を目指す動きはもはや止まりませんでした。
1332(正慶元・元弘2)年4月、楠木正成が千早城(ちはやじょう)で再び挙兵。11月には反幕府勢力を集めた後醍醐天皇の皇子護良親王(もりよししんのう)も吉野で兵を挙げます。これを機に畿内を中心に次々と反乱の火の手があがると、後醍醐天皇は隠岐を脱出して船上山(せんじょうさん)に籠り、諸国に北条氏の追討を命じました。一方、幕府側は有力な御家人足利高氏(尊氏)らを派遣して対抗。しかし、高氏は京都へ向かう途中で幕府に反旗を翻し、後醍醐天皇方に寝返ってしまうのです。
鎌倉幕府はこうして滅亡した
後醍醐天皇が勝利し鎌倉幕府ついに陥落
高氏の裏切りをきっかけに、全国の武士の多くが幕府から離反し、情勢は一気に討幕へと傾いていきます。
1333(正慶2・元弘3)年5月、足利軍は京都の六波羅探題を攻略。一方、関東では新田義貞が分倍河原(ぶばいがわら)で幕府軍を破るなど快進撃を続け、鎌倉へ向かいます。
幕府軍も鎌倉に入る七つの入口を防ぎ、必死で防戦しました。しかし、新田軍は干潟から攻め入り、鎌倉を陥落させます。こうして鎌倉幕府は滅亡したのです。
鎌倉幕府はこうして滅亡した
後醍醐天皇は功労者軽視の方針が仇となって支持を失う
【要点はココ】
◎後醍醐天皇は平安時代中期の醍醐・村上天皇の時代を理想として親政を行いました。
◎公家に厚く武家に薄い恩賞が不満を生みます。
◎建武の新政は失政の連続で、うまくいきませんでした。
建武政府の成り立ち
後醍醐天皇による建武の新政
鎌倉幕府の滅亡後、後醍醐天皇は1334(建武元)年から京都で天皇自ら政治を行う親政を開始します。いわゆる建武の新政(けんむのしんせい)です。
平安時代中期の醍醐天皇・村上天皇の治世を理想とする後醍醐天皇は、当時と同じように摂政・関白を廃止して太政官(だいじょうかん)を最高機関とする太政官制を復活させ、天皇による独裁体制の強化を推進しました。政府の組織に関しても武家政権以前に回帰させたかったのでしょうが、さすがに400年以上前の機構に戻すのは難しく、鎌倉幕府に近い形になりました。ところが、建武の新政は多方面から不評を買ってしまいます。
後醍醐天皇への不満が高まる
政府の職には旧御家人や公家が多く就きました。そのため、討幕に貢献した武士たちの不満が募りました。
彼らは「幕府を倒したのは自分たちだ」と自負していましたが、得られた恩賞は公家より薄いものでした。また土地の領有について、政府は「すべて天皇の承認が必要」としたため、土地の安堵を求める武士が京都に殺到。こうした混乱も不満を増大させました。
ほかにも政府は、内裏(だいり)の造営や新銭の発行などを計画しては実行できずに行き詰まるといった失態をみせました。結果、後醍醐天皇は支持を失うことになったのです。
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[中世史の最前線]あの肖像画は将軍ではない?源頼朝の本当の顔
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[中世史の最前線]言葉のイメージはよくないが、院政は悪いシステムではなかった?
■承久の乱/公武の力関係を大きく変える中世最大級の大乱が起こる!乱の結果、幕府が勢力を拡大し、公武二元体制を終わらせた
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[中世史の最前線]鎌倉新仏教と旧仏教はどんな関係だった?
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■正中の変・元弘の変/幕府に戦いを挑み、2度も失敗……それでも信念を貫いた後醍醐天皇
■鎌倉幕府の滅亡/幕府方の足利高氏が謀反!新田義貞も活躍し幕府が滅びる
見どころ―目次から抜粋:室町時代
■建武の新政/武家軽視の方針が仇に……挫折した後醍醐天皇の夢
■中先代の乱/ついに後醍醐天皇と決別!政府打倒を目指す尊氏
[中世史の最前線]黒い馬にまたがる騎馬武者は足利尊氏ではない?
■南北朝の分立/朝廷が分裂して天皇も2人に!北朝と南朝の攻防がはじまる
■観応の擾乱/尊氏と直義の骨肉の争い!史上最大の兄弟喧嘩の顛末は?
■将軍権威の確立/武家と公家両方の頂点に立ち、幕府を全盛期に導いた足利義満!
■幕府統治機構の確立/鎌倉幕府を踏襲した統治機構が義満の時代にようやく確立する
■南北朝合一/南北に分裂していた朝廷が約60年のときを経てひとつに!
■日明貿易/優先すべきは名より実 巨大ビジネスをものにした義満
[中世史の最前線]足利義満は本当に天皇の地位を奪おうとしていたのか
著者紹介
山田 邦明(やまだ・くにあき)
1957年、新潟県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。東京大学史料編纂所教授などを経て、現在愛知大学文学部教授。日本中世史を専門とする。主な著書に『鎌倉府と関東』(校倉書房)、『日本の歴史8 戦国の活力』(小学館)、『日本中世の歴史5 室町の平和』『戦国のコミュニケーション』『人物叢書 上杉謙信』(以上、吉川弘文館)、『日本史のなかの戦国時代』(山川出版社)、『鎌倉府と地域社会』(同成社)などがある。
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