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両統迭立の時代~皇統が2つに分裂し皇位継承が不安定に~

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月20日

両統迭立の時代~皇統が2つに分裂し皇位継承が不安定に~

天皇家は皇位継承をめぐって対立し、2派に分裂しました。困った幕府は2派が10年ごとに交代で皇位に就くという案を出し、受諾させたのでした。
【要点はココ】
◎後嵯峨天皇が皇統分裂の要因をつくりました。
◎後深草天皇の系統を持明院統、亀山天皇の系統を大覚寺統といい、幕府の仲裁により、両統が10年ごとに交代で天皇を擁立することになりました。

両統迭立のきっかけとなった持明院統と大覚寺統の分裂

鎌倉時代後期から室町時代にかけて、歴代の天皇からつながる血統(皇統)が2つに分かれている時期がありました。分裂の要因をつくったのは後嵯峨天皇(ごさがてんのう)です。

後嵯峨は即位後わずか4年で子の後深草(ごふかくさ)天皇に譲位し、自らは上皇となって院政を開始しました。しかし、後嵯峨が溺愛していたのは後深草の弟亀山(かめやま)天皇で、早々に後深草に退位を命じ、亀山を即位させます。そしてその後約30年間、後嵯峨は朝廷の最高権力者である治天の君(ちてんのきみ)として君臨し続けたのです。

やがて後嵯峨が次の治天の君を定めずに亡くなると、亀山が子の後宇多天皇(ごうだてんのう)に譲位して院政を開始。これに不満を抱いた兄の後深草が失望のあまり出家をにおわせたため、幕府が仲裁に入り、後深草の子(のちの伏見天皇)を皇太子にすえるよう命じました。

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