更新日: 2024年1月20日
北条泰時は稀代の名執権!武家政権を安定させた
執権北条義時が謎の死を遂げた後、子の泰時が執権となって実権を握ります。泰時は幕政を合議制にし、執権政治を確立させました。
【要点はココ】
◎北条義時の死後、幕府内で権力争いが起こりました。義時暗殺説も囁かれています。
◎3代執権北条泰時は13人の合議制を採用し、「御成敗式目」を制定します。
◎泰時の施策により執権政治が安定していきました。
北条泰時を押しのけて執権を握ろうとした伊賀氏
承久の乱から数年後の1224(元仁元)年、2代執権北条義時が急死しました。数々の政敵を倒して権勢を握った義時の死により、幕府内で権力争いが起こります。
義時の後妻伊賀氏は有力な御家人三浦義村(みうらよしむら)と結び、先妻の子北条泰時(やすとき)を押しのけて実子政村を執権にしようと画策。この騒動は北条政子(まさこ)によって未然に解決されましたが、幕政の不安定さを象徴する事件となりました。
実は、北条義時も北条一族の家督騒動に巻き込まれて暗殺されたのではないかといわれています。犯人はやはり伊賀氏が有力とされていますが、真相はわかりません。
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