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後鳥羽上皇の企み~目指すは公武合体による親政~

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月20日

後鳥羽上皇の企み~目指すは公武合体による親政~

【要点はココ】
◎暗殺された3代将軍源実朝は、幕府と朝廷のパイプ役を担っていました。
◎後鳥羽上皇は親政を目指し、西面の武士を創設するなど兵力を拡充していました。
◎実朝暗殺を機に、後鳥羽上皇は幕府打倒を決意しました。

後鳥羽上皇は文武に通じた珍しい皇族

3代将軍源実朝、暗殺される――。この報(しら)せに敏感に反応した権力者が朝廷にいました。それは後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)です。

当時、朝廷の実権を握っていた後鳥羽上皇は、『新古今和歌集』の編纂を命じたり、蹴鞠や楽器演奏を行うなど、風雅の道に精通。それだけではなく、弓矢や刀の鍛錬を重んじたり自ら盗賊を捕縛したという逸話があるほど武芸を愛好する、珍しいタイプの皇族でした。

政治的な野心も旺盛で、天皇自ら政治を行う親政の実現を目指していました。初期の幕府は、東国の支配を優先して西国には積極的に進出していなかったため、西国は朝廷の影響下にありました。そこで朝廷とのパイプ役となっていた源実朝を通じて幕府への影響力を強め、公武合体による親政を行う、というのが後鳥羽上皇の狙いだったと考えられています。

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82代天皇で、譲位後、23年にわたり院政を敷いた稀代の帝王です。武家による政治を容認できず、親政を目指してクーデターを画策。幕府の実権を握る執権北条義時と対決することになりました。

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