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鎌倉幕府の成立~全国に守護が設置され、源頼朝の征夷大将軍任命で幕府が成立!~

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月20日

鎌倉幕府の成立~全国に守護が設置され、源頼朝の征夷大将軍任命で幕府が成立!~

鎌倉という都市は、背後が山、前面が海という立地で、敵は鎌倉七口を通らないと侵入できません。このような天然の要害を源頼朝は拠点として選んだのです。

初期の鎌倉幕府は、中央に置かれた侍所・政所・問注所、地方に置かれた守護・地頭などによって成り立っていました。各国に1人置かれた守護は源氏一門、あるいは有力な御家人のなかから選ばれました。

鎌倉幕府は全国に守護が設置され、源頼朝の征夷大将軍任命で成立

【要点はココ】
◎鎌倉幕府の成立時期については諸説あります。
◎源頼朝が鎌倉を拠点に選んだのは敵に攻められにくい天然の要害だからです。
◎源頼朝の征夷大将軍就任で幕府が名実ともに成立しました。

鎌倉に幕府が開かれた理由:鎌倉は天然の要害

鎌倉幕府の成立時期は、東国に独立国家がつくられた1180年説、全国に守護(しゅご)が設置された1185年説、源頼朝征夷大将軍に任命された1192年説など諸説あります。かつては1192年が一般的でしたが、現在の歴史教科書の多くは1185年としています。

そもそも源頼朝が鎌倉入りしたのは、1180(治承(じしょう)4)年のことです。鎌倉は源氏の守護神の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)が鎮座(ちんざ)するゆかりの地であることに加え、四方を険しい山と海に囲まれていることが、史上初の武家政権の拠点として選ばれた理由だといわれています。

なぜ鎌倉に幕府を開いたのか?

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鎌倉幕府は源頼朝が征夷大将軍に

そして1185(文治元)年、源頼朝は後白河(ごしらかわ)法皇に迫り、全国に守護を設置する権利や兵糧米(ひょうろうまい)を徴収する権利などを得ます。これにより武家政権が事実上確立しました。教科書はこの年を鎌倉幕府成立としているのです。

その後、源頼朝は平氏や奥州藤原氏を滅ぼし、1192(建久(けんきゅう)3)年に武家の棟梁(とうりょう)として君臨する征夷大将軍に任じられます。これが鎌倉幕府が名実ともに成立した年です。

なお、源頼朝は1199(建久10)年に落馬した怪我がもとで亡くなりました。あまりにも急すぎる死だったため、暗殺説などさまざまな憶測が生まれました。

鎌倉殿の13人と関連の人物:北条時政(ほうじょうときまさ)

北条政子(まさこ)・義時(よしとき)の父。配流中の源頼朝を政子の婿(むこ)にとり、挙兵を助けました。幕府の創設にも尽力し、頼朝の死後は初代執権(しっけん)として実権を握りましたが、3代将軍実朝の排除計画に失敗し、引退に追い込まれました。

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