更新日: 2024年1月13日
毛利元就の戦略地図~大内氏の政変を機に中国地方制覇を達成!
息子達を有力国人の養子にさせ、M&Aで強大化しました。厳島合戦で陶晴賢を破り、大内氏の領土をそっくり手に入ます。
毛利元就の戦略地図~息子達を有力国人の養子にさせM&Aで強大化する
15世紀初頭、安芸の国人領主・毛利氏は山口の大内、出雲の尼子という二大勢力に挟まれ、いずれかに属さざるを得ない弱小領主でした。そのため毛利元就が尼子から大内に鞍替えすると、報復に出た尼子の大軍に城を包囲されてしまいます(吉田郡山城の戦い)。
大内氏の援軍を得て撃退しますが、翌年には大内氏の尼子遠征に従い大敗に巻き込まれるなど、弱小勢力ゆえの悲哀を味わいます。
その一方で元就は、生き残りをかけて三男の隆景(たかかげ)を小早川、次男の元春(もとはる)を吉川といった有力国人の養子に送り込み、主家を分家が補佐する「両川(りょうせん)体制」を構築しました。
経済の重要拠点を狙う毛利家の拡大戦略
大内家に鞍替えした元就は、養子を送り込んで有力国人の乗っ取りを進める一方、陶晴賢の謀反を捉え、中国地方西部を支配する大勢力へと飛躍を遂げました。
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