

更新日: 2024年1月20日
「出石そば」の歴史と特徴~独特の食べ方はいつから?なぜ?~
「但馬の小京都」とも呼ばれ、古い町並みが残る豊岡市の出石。うどんのほうが人気の近畿地方にありながら、この地ではなぜ、そばが名物となったのでしょうか。
出石そばの歴史は殿様が連れてきた信濃上田のそば職人から
兵庫県では、「揖保乃糸」の名で知られる播州(ばんしゅう)そうめんとともに、豊岡市の名物・出石(いずし)そばがご当地めん類の代表格となっています。めん類といえば、もっぱら関東ではそば、関西ではうどんが人気なので、改めて考えると少し意外な印象です。
じつは、出石のそば打ちは信濃(現在の長野県)の上田から伝わったものでした。江戸時代中期の1706年、それまで出石城主を務めていた松平氏に代わって上田から仙石政明(せんごくまさあきら)が赴任しました。
そば好きの政明は、わざわざ地元のそば職人を連れてきたのです。出石で現在も続く40数軒の老舗のそば店の中には、上田出身者の子孫もいます。
出石城は2つ存在した?
仙石政明が居を構えた出石城は明治期に取り壊され、稲荷台(いなりだい)・本丸・二の丸などの石垣のみが出石町に残っています。この地に城が築かれたのは1604年のことで、じつは戦国時代まで、南東の山頂にある有子山城が出石城と呼ばれていました。出石城は2つあったのです。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!