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兵庫津は神戸港開港までは兵庫の表の玄関口だった!~神戸港の歴史~

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月20日

兵庫津は神戸港開港までは兵庫の表の玄関口だった!~神戸港の歴史~

150年以上の歴史を持つ神戸港は、中世から商業港として栄えた兵庫津の隣にある小さな村でした。それがいかにして日本一の貿易港に成長したのでしょうか。

兵庫津は神戸港開港以前の港町だった

兵庫県の表玄関たる「神戸港」は、江戸時代まで存在しませんでした。代わりに港町として栄えていたのが、湊川より西の兵庫津(ひょうごのつ:現在の神戸市兵庫区)です。兵庫津は中世まで大輪田泊と呼ばれ、古くから瀬戸内海における物流の要衝でした。

江戸時代には、日本海から関門海峡を経由して瀬戸内海に入る北前船(きたまえぶね)によって、各地の商品や米が兵庫津に集積され、さらに大坂や江戸へと廻送されるようになります。18世紀の後半になると、兵庫津を拠点とした海運業者の高田屋嘉兵衛(かへえ)が、蝦夷地(えぞち:現在の北海道)と畿内を結ぶ航路を開拓し、昆布やニシンなど蝦夷地の海産物が兵庫津を介して各地に流通することになりました。

兵庫津は港としても最適だった

幕末の1858年、アメリカ、イギリス、ロシア、フランス、オランダの5カ国との間で、修好通商条約(安政五ヶ国条約)が結ばれ、横浜や箱館とともに兵庫津の開港が決定します。畿内では大坂のほうが港の規模が大きかったのですが、兵庫津は水深が10~15mと大坂より深くて大型船の停泊に適していました。また、六甲山地と和田岬によって西と北からの強風が防がれる点が有利でした。

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