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更新日: 2024年1月20日
竹田城の最後の城主となった赤松広秀によって築かれた石垣
標高353.7mの古城山山頂にある竹田城跡。そこは但馬と播磨の国境に位置する要衝でした。そして、築城に欠かせない大量の石は現地調達したものでした。
目次
竹田城の象徴の石垣は赤松広秀が築いた
竹田城は1443年ころ、当時の但馬守護の山名持豊(宗全)が配下の太田垣光景(おおたがきみつかげ)に命じて築かせたのがはじまりです。
古城山(こじょうざん)は、但馬と播磨の国境に位置する要衝であったために選ばれました。
当時、山名氏は播磨守護赤松氏との間で戦が頻発していました。そこで赤松軍の侵攻を監視できる山城を築きます。ただし当初の城は土塁で守られていました。今に残る総石垣造の城に改修したのは、最後の城主となった赤松広秀(ひろひで)です。
竹田城最後の城主、赤松広秀はどうやって石垣を築いた?
石垣群は南北400m、東西100mにおよび、本丸の石垣の高さは10.6mもあります。重機のない時代に大量の石を山頂まで運び上げることができたのは、山頂の至るところにある石取り場から滑車(かっしゃ)を使って人力で石を引っ張り上げたからです。
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