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信長の勢力拡大で目まぐるしく変わった戦国時代

波多野(はたの)家当主の波多野秀治(ひではる)と実弟の波多野秀尚(ひでひさ)は、信長が派遣した明智光秀の軍勢に加わり、丹波で反信長勢の討伐を担いました。ところが、丹波の豪族たちと通じて光秀に反旗を翻ひるがえし、光秀軍を攻撃。八上城に籠もった波多野氏は1年半耐え抜いたものの、最後は降伏して滅亡しました。

別所長治は秀吉の兵糧攻めで降伏

当初は信長に従っていた別所家当主の別所長治も反信長勢力に加わり、三木城(三木市)に籠城します。信長が派遣した羽柴秀吉に従っていた荒木村重(むらしげ)の謀反もあり、秀吉は三木城の攻略に手を焼きました。さらに、秀吉の側近で姫路城城代であった黒田孝高は、有岡城(ありおかじょう)(伊丹市)に籠城した村重を翻意させるために乗り込みますが、土牢(つちろう)に幽閉されます。

別所長治は1年10カ月にもおよぶ秀吉の兵糧攻めによって降伏。また、有岡城に幽閉されていた孝高は家臣に救出されます。この後、姫路城を秀吉に差し出したといわれています。

こうして、兵庫県域でくり広げられた戦国時代の攻防は終わりました。小大名たちは、天下統一を目指す織田信長にどう対応するのかで明暗が分かれたのです。

秀吉の「中国大返し」、休憩ポイントはここ

本能寺の変(1582年6月21日)で信長が亡くなったことを2日後に知った秀吉は、明智光秀を討つために備中高松城(岡山市)から引き返し京へ向かいました。これが「中国大返し」です。

そのルートは、備中高松城→姫路→明石→兵庫→尼崎→富田(大阪府高槻市)→山崎(京都府大山崎町)。数万人もの大軍が235kmの距離をおよそ9日間で移動(時速26.5km)できた理由はさておき、秀吉が兵庫県を横断する最短ルートを選んだことがよくわかります。

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