更新日: 2024年1月20日
たたら製鉄と鉄の道~兵庫からどこへ続いていた?~
日本の伝統的な製鉄法として知られる「たたら製鉄」。古代の兵庫では鉄製の農具や武器をつくっていました。佐用町と宍粟市には、その痕跡が残っています。
「たたら製鉄」は日本古来の製鉄法
西播磨の内陸部は、古代から製鉄がさかんでした。『播磨国風土記』によると、讃容(さよう)(現在の佐用町)や宍禾(ししあわ)(現在の宍粟市)は、鉄の産地とされています。
日本古来の製鉄法では、粘土を固めた製錬炉(せいれんろ)で大量の木炭を燃やして砂鉄を溶かしました。製錬炉は空気を吹き込むたたら(ふいご)を備えており、製鉄施設はたたら場と呼ばれました。
たたら製鉄のための砂鉄を大量に集める方法が「鉄穴(かんな)流し」です。水路を使って人工のため池(カンナ池)に砂鉄を含んだ土砂を流すと、重い砂鉄は底に沈み、軽い土砂のみ下流に排出され、何度もくり返し土砂を流しているうちに大量の砂鉄が池の底にたまります。千種町の山間部では、鉄穴流しのため山肌を削った跡が多く見られ、製鉄の過程で生じた鉄滓(てっさい)(不純物が混じった、いわば製鉄ゴミ)が、普通の石ころのように転がっています。
たたら製鉄の遺跡「天児屋鉄山遺跡」
千種町の谷川に面する「天児屋鉄山遺跡(てんごやてつざんいせき)」は、400m四方もの広さがあり、鉄穴流しの設備や製錬炉のほか、木炭をつくる炭小屋、鉄製品をつくる鍛か冶じ場ばなど、たたら場の施設がすべてそろっています。これは各地にあるたたら場の遺跡でもめずらしく、2002年には県の史跡に指定されました。
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