更新日: 2024年1月20日
神戸市電の跡はどうなった?~消えた神戸のチンチン電車~
自動車が普及するまで、神戸市民の日常的な「足」として愛された路面電車。廃止から約半世紀を経た現在、残された路線の痕跡は非常に少ないです。
神戸市電の歴史~始まりから廃線まで~
今はなき路面電車の神戸市電。敷設が提案されたのは明治時代中期の1893年で、東京の路面電車より10年も早い開業でした。
ところが、複数の鉄道会社が名乗りをあげ、さらに民営とするか市営とするかで議論が紛糾し、ようやく1906年に神戸電気鉄道による敷設が認可されました。
1910年、兵庫駅前と春日野を結ぶ栄町(さかえまち)本線が最初に運行を開始し、1917年には神戸市が神戸電気鉄道を買収して市営となります。
内陸の住宅地と沿岸の商業地を結ぶ平野線、兵庫駅と中央卸売市場を結ぶ兵庫線など16系統が敷設されました。最盛期には全線で1日あたり40万人もの乗客が利用し、200両以上もの車両を保有していました。
ですが、1960年代から急速にモータリゼーションが進み、市電の利用者数は下落の一途をたどっていきます。1966年に現在のフラワーロード(兵庫県道30号新神戸停車場線)を走っていた税関線が廃止されたのを皮切りに、わずか5年で全線が廃止されました。
阪神電鉄の路面電車
神戸市電とほぼ同時期、阪神電鉄も、大阪の天神橋筋六丁目から野田を経由して神戸市の西灘までを結ぶ3つの路線で運行していました。
最盛期の1951年には、3線合わせて1日あたり10万人もの乗客がありましたが、1975年に廃止されました。
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