更新日: 2024年9月23日
徳川家康の遺体は 日光ではなく久能山にある?
死後400年以上経った現在でも全国各地で信仰されている徳川家康。
実は、その墓はあるものの、遺体がどこに安置されているかは明確にわかっていません。
果たして、論争の行方はどうなっているのでしょうか?
徳川家康の「遺体は久能山に安置せよ」という遺言
1616(元和2)年4月17日に駿府城で没した徳川家康は、自らの死に際し、側近の本多正純(ほんだまさずみ)、金地院崇伝(こんちいんすうでん)、南光坊天海(なんこうぼうてんかい)の3人に「亡くなったら遺体は久能山に安置し、葬儀を増上寺(ぞうじょうじ)で行い、位牌は大樹寺(だいじゅじ)に納め、一周忌の後に日光に小さなお堂を建ててそちらに移動すること」との遺言を残しました。
徳川家康が亡くなると、周囲の人々はこの指示に従い葬儀を執り行ったといいます。久能山東照宮に残る「四角い棺に正装姿で座した状態で、西を向いて葬られている」との言い伝えも、遺言によるもの。西を向いているのは、故郷の三河を眺めるためとも、豊臣の残党がいる西の勢力に睨みをきかせるためとも言われています。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!