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富士川舟運の歴史~角倉了以が航路を開削し駿河と甲斐を結びつないだ流通の大動脈 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

富士川舟運の歴史~角倉了以が航路を開削し駿河と甲斐を結びつないだ流通の大動脈

江戸時代の初期から昭和の始めにかけて、駿河と甲斐(かい)を結ぶ富士川では「高瀬舟」が往来していました。
物資と人々を運ぶ「富士川舟運」はどのような変遷をたどったのでしょうか。

富士川舟運と富士川の歴史

富士川舟運は、江戸幕府の年貢米を江戸に届けることを目的として開かれ、以後、近世まで、甲斐・信州と駿河を結ぶ物資輸送のルートとして、経済・交通における大動脈の役割を担ってきました。

富士川は、長野・山梨県の県境付近の峠を源流として、山梨、静岡両県を縦断して駿河湾に注ぐ、全長128kmの河川です。流域は南アルプスや八ヶ岳(やつがたけ)連峰などの高峰に囲まれ、地形が急峻で地質構造帯が脆弱なため、河床勾配(かしょうこうばい)はかなり急で土砂流出が大きく、山形県の最上川(もがみがわ)や熊本県の球磨川(くまがわ)とともに「日本三大急流」と呼ばれています。

これらの河川では特に舟運が盛んでした。当初は年貢米などの運搬がメインでしたが、やがて、最上川では特産の紅花、球磨川では人吉(ひとよし)の焼酎など、地域経済に特化した物資が運ばれるようになりました。富士川では身延山(みのぶさん)に参拝する人々が利用するようになり、人々の足としての運行も増加していきました。

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