一の谷中世墳墓群の墓と出土品
一の谷中世墳墓群は、1984(昭和59)年に宅地開発の事前調査で存在が明らかにされ、その後の調査によって、15500㎡の範囲に平安時代末から江戸時代初期にかけての888基の塚墓、土坑墓、集石墓などの墓があることが確認されました。
愛知県の瀬戸、渥美、常滑で焼かれた壺などが蔵骨器として使用されており、中国から輸入された青磁や白磁も見つかっています。
そのほかの出土品には、遺体と一緒に納められた副葬品として、硯(すずり)、銅製五輪塔(ごりんとう)、短刀、和鏡などがあります。
一の谷中世墳墓群の現在
一の谷中世墳墓群の発掘調査は、磐田市水堀地内の開発計画に起因し、1984(昭和59)年から1988(昭和63)年の5年間にわたって行われました。
調査が進むにつれて、一の谷中世墳墓群の様相が明らかになると、研究者や市民を中心とした保存運動も展開されましたが、1989(平成元)年に宅地造成(土地区画整理)のため遺跡は全面的に破壊されました。
現在は、住宅地内にある一ノ谷公園に、火葬遺構や土坑墓、集石墓、塚墓を型取りしたレプリカが復元されています。
一の谷中世墳墓群からわかること
見付は遠江国の国衙(こくが)・守護所が置かれた土地であり、後に宿場町となって東海道五十三次の一つである見付宿となりました。
墓地には、平安時代から江戸時代初頭にかけて、見付の役人や町人が埋葬されていたと考えられます。墓は見付の町域の外側に造られており、墓地が穢(けがれ)として中心部から隔離された場所に置かれた中世都市の構造や、中世の葬送方法の時代的な推移、さらには墓の背景にある中世人の宗教観などを知る上で、貴重な遺跡です。
墳墓群と見付宿
一の谷中世墳墓群と見付宿の位置関係。北西に進んだ丘陵地にあり、見付天神や本陣跡から少し離れています。
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