相良油田の歴史
この油田は、1872(明治5)年2月、谷間で「油くさい水が出る」と聞いた元徳川藩士の村上正局(むらかみまさちか)によって発見されました。
同年3月には、静岡学問所の外国人教師エドワード・ウォーレン・クラークにより、その液体が石油であると判定。翌年5月には、手掘りによる採油が始まりました。
1874(明治7)年になると日本石油(現在のENEOS)の前身である長野石炭油会社による日本で初の機械掘りがスタート。最盛期の1884(明治17年)年頃は、従業員約600人、年間で721キロリットルもの石油が産出されていました。
相良油田を有する地層と産出していた石油の品質
相良油田の石油は深さ310m、岩と砂岩などが交互に積み重なる第三紀中新世紀の相良層という地層から採取されていました。非常に軽質で低粘度、ウイスキーやブランデーのような透き通った琥珀色の液体で、精製せずにそのままでも自動車が動くほど高品質だったと言われています。
相良油田の石油坑
石油坑と機械堀井は1950(昭和25)年に開抗されたもので、深さは310m。泥岩と砂岩が交互に積み重なった岩盤を堀り石油を採掘していました。
相良油田採掘停止のその後
そんな相良油田も、産油量の激減や国外からの安い原油の輸入により1955(昭和30)年には採掘停止に。その後、1980(昭和55)年には相良油田石油坑が静岡県指定文化財(天然記念物)となり、現在、その跡地は油田の名残をとどめる「相良油田油井」として、観光と研究用に残されています。
油井では数年に一度、採掘試験が行われており、少し離れた場所にある油田跡を整備した「油田の里公園」で開催されるイベントにあわせて一般に公開され、汲みたての原油からゴミを瀘(こ)した精製前の原油を使い、原動機付自転車などのガソリンエンジンや農業用発電機の始動実演が行われています。油田の里公園の公園内にある油田資料館では採掘の様子を知ることができます。
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Part.1 地図で読み解く静岡の大地
・富士山が標高日本一、駿河湾が深海日本一になった理由
・南から来た、火山の贈り物、伊豆半島ジオパーク
・交通の難所「大崩海岸」は海底噴火によって作られた!
・「日本三大人工美林」数えられる天竜の杉林は川の氾濫に関係があった?
・磐田市にトンボの楽園があった!
・湖?川?海?浜名湖の正体を探れ!
・世界遺産「三保松原」は江戸時代に「島」から「半島」になった!
などなど静岡のダイナミックな自然のポイントを解説。
Part.2 静岡を駆け抜ける鉄道網
・静岡県の鉄道の歴史は沼津市内の貨物線から始まった
・かつては「東海道本線」だった由緒正しき(?)御殿場線
・JRと私鉄が一体となって形成する伊豆半島東海岸の鉄道ルート
・意外なエピソードを秘めた東海道本線・静岡鉄道の並行区間
・「政令指定都市・静岡」の市内も走る山岳鉄道、大井川鐵道井川線
・軍事上の要請が背景にある天竜浜名湖鉄道(旧国鉄二俣線)のルート
などなど静岡ならではの鉄道事情を網羅。
Part.3 静岡で動いた歴史の瞬間
・静岡最古の古代人は愛鷹山付近にいた!
・日本考古学の聖地・登呂遺跡
・日本書紀に見る静岡とヤマトタケルの伝説
・源頼朝も流された流刑地伊豆
・下田が開港の舞台になったのはなぜか
・江戸城よりも大きかった駿府城天守台
・日本にたった一つしかない形の城・田中城
・家康の遺体は日光ではなく久能山にある?
・徳川慶喜と渋沢栄一の意外なつながり
などなど、激動の静岡の歴史に興味を惹きつける。
Part.4 静岡で育まれた産業や文化
・模型の首都!静岡が生まれたワケ
・バイクに楽器。浜松のものづくりは綿花の栽培から
・ボールは友達!サッカー王国しずおか
・富士山麓の湧水が育てた製紙業
・月ではなく富士山に帰ってしまう「かぐや姫」
・仏教界のスーパースター空海が静岡に残した伝説
…などなど静岡の発展の歩みをたどる。
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