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静岡鉄道静岡清水線と東海道本線の並行区間での”共演”
1934(昭和9)年、静鉄が複線化に伴うルート変更をしたことで誕生した東海道本線と静岡鉄道の並行区間は、静岡鉄道の入江岡駅付近から狐ヶ崎駅付近までの約2㎞。まるで大都市圏の複々線のようなこの区間は、JRと静鉄の列車が日々頻繁に共演を繰り広げる舞台となっており、鉄道愛好者にとって楽しい見どころとなっています。
もっとも“共演”といってもJR、静岡鉄道の列車いずれも走るのは自社の線路の上だけ。両社の線路はつながっておらず、列車が相互に乗り入れることは物理的に不可能です。ですが、この区間には過去に一度だけ、当時の国鉄の列車が静鉄の線路に乗り入れた記録があります。1950(昭和25)年3月27日23時03分頃、東海道本線の草薙~清水間を走行していた上り貨物列車が清水市(現在の静岡市清水区)桜橋町付近で脱線事故を起こし、同線が上下とも不通になったときのことでした。
静岡鉄道静岡清水線は東海道本線の脱線事故による迂回を支えた
このとき、事故の知らせを受けた静岡鉄道は直ちに対策を協議、交通事業者としての大局的判断から事故現場に並行する自社線を提供し東海道本線の列車を迂回させることを決め、国鉄に申し入れました。そして応急工事により両線は接続され、事故翌日の3月28日夕方から3月29日の15時頃まで、国鉄の列車は静岡鉄道に乗り入れて事故現場を迂回運転したのです。
もちろんこの間静岡鉄道の電車は全面運休、また同社のバス部門(現在のしずてつジャストライン)も一部の路線を運休してバスを提供、国鉄の不通区間の代行輸送を支えました。
今は旧静岡・旧清水の両都心部を結ぶ地域輸送に徹する静岡鉄道。東海道本線の隣を2両きりのミニ編成が行き交うその線路に、かつて当時の日本の大動脈、東海道本線の長大な列車が乗り入れた幻のような時間は、まぎれもなく静岡鉄道の社史に残る大事件の一コマだといえるでしょう。
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Part.1 地図で読み解く静岡の大地
・富士山が標高日本一、駿河湾が深海日本一になった理由
・南から来た、火山の贈り物、伊豆半島ジオパーク
・交通の難所「大崩海岸」は海底噴火によって作られた!
・「日本三大人工美林」数えられる天竜の杉林は川の氾濫に関係があった?
・磐田市にトンボの楽園があった!
・湖?川?海?浜名湖の正体を探れ!
・世界遺産「三保松原」は江戸時代に「島」から「半島」になった!
などなど静岡のダイナミックな自然のポイントを解説。
Part.2 静岡を駆け抜ける鉄道網
・静岡県の鉄道の歴史は沼津市内の貨物線から始まった
・かつては「東海道本線」だった由緒正しき(?)御殿場線
・JRと私鉄が一体となって形成する伊豆半島東海岸の鉄道ルート
・意外なエピソードを秘めた東海道本線・静岡鉄道の並行区間
・「政令指定都市・静岡」の市内も走る山岳鉄道、大井川鐵道井川線
・軍事上の要請が背景にある天竜浜名湖鉄道(旧国鉄二俣線)のルート
などなど静岡ならではの鉄道事情を網羅。
Part.3 静岡で動いた歴史の瞬間
・静岡最古の古代人は愛鷹山付近にいた!
・日本考古学の聖地・登呂遺跡
・日本書紀に見る静岡とヤマトタケルの伝説
・源頼朝も流された流刑地伊豆
・下田が開港の舞台になったのはなぜか
・江戸城よりも大きかった駿府城天守台
・日本にたった一つしかない形の城・田中城
・家康の遺体は日光ではなく久能山にある?
・徳川慶喜と渋沢栄一の意外なつながり
などなど、激動の静岡の歴史に興味を惹きつける。
Part.4 静岡で育まれた産業や文化
・模型の首都!静岡が生まれたワケ
・バイクに楽器。浜松のものづくりは綿花の栽培から
・ボールは友達!サッカー王国しずおか
・富士山麓の湧水が育てた製紙業
・月ではなく富士山に帰ってしまう「かぐや姫」
・仏教界のスーパースター空海が静岡に残した伝説
…などなど静岡の発展の歩みをたどる。
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