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渡辺友以(わたなべとももち)

江戸時代の豪商。天領米の運搬のために巨費を投じて、阿武隈川の河川改修を行なった。天領と仙台藩の境にあった難所の川底を広げるなど開削し、長良川で使用されていた小舟を導入したことで舟での運搬を可能にした。それにより、福島城下まで舟運船が行き交うことが可能となり、その数年後、江戸の豪商河村瑞賢が大型船で江戸へ米を輸送する海上輸送方式を完成させる道筋を作った。

船津傳次平(ふなつでんじべい)

天保 3(1832)年、富士見村(現・前橋市)の代々名主を務める農家に生まれ、父が経営する寺子屋で学び、学問に目覚める。農作業の合間に作物の観察や研究を重ね、栽培技術の向上などに貢献。群馬県の推薦で「駒場農学校(現・東京大学農学部)」で唯一の日本人教師となり、横井時敬(よこいときよし)など多くの著名な農学者や指導者が彼に学ぶ。
その後、農商務省や農事試験場の技師として全国をまわり、農業改良の講演を行った、「近代農業・農学の父」といわれる。

森喜作(もりきさく)

桐生市出身の農学博士「森喜作(もりきさく)」の功績があったからこそです。昭和17(1942)年、森は世界で初めてしいたけの人工栽培を成功させ、生涯をきのこの研究に捧げた。

河村瑞賢(かわむらずいけん)

江戸時代初期の御用商人、土木・海運業者。13歳で伊勢国より江戸に出て、資金を増やし、材木屋を営む。その後、幕命を受けて阿武隈川河口の荒浜から江戸に廻米する新航路「東廻り航路」を開き、翌年には「西廻海運」を確立。また、大阪・淀川下流の治水工事を任されるなど、全国各地で治水・灌漑・鉱山採掘・築港・開墾などの事業を実施した。

川村孫兵衛(重吉)(かわむらまごへえ(しげよし))

安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。毛利氏・伊達氏の家臣。長門国阿武郡出身。毛利輝元に仕えたが、関ヶ原の戦いで毛利氏が負け、浪人となる。その後、仙台藩主伊達政宗の家臣となり、土木治水工事などの優れた技術を用いて、水不足の解消や地下水の確保、石高の向上を実現。また、石巻の築港により、北部地域との海運も発達するなど、仙台藩の発展に大きく貢献した。

高島嘉右衛門(たかしまかえもん)

幕末から明治にかけて活躍した横浜の実業家。横浜で外国人相手に商売をし、そのネットワークを使って、さまざまな事業を行なう。政府高官との人脈も広げ、伊藤博文と大隈重信に鉄道敷設の必要性を説き、それに伴う横浜港の埋め立て事業を手がけた。加えて、ガス会社・ガス工場を建設し、日本初のガス灯を建築するなど、横浜の発展に大きく寄与。「横浜の父」や吉田勘兵衛、苅部清兵衛らとともに「横浜三名士」ともいわれる。

片寄平蔵(かたよせへいぞう)

「いわきの石炭産業の父」と呼ばれ、石炭産業を作り出した商人。笠間藩御用達の材木商だったが、石炭の重要性に気付き、故郷の磐城で探索を続け、弥勒沢で石炭露頭を発見。俵詰めした石炭を江戸で販売した。江戸幕府が軍艦操練所を設ける際に、3000俵の石炭を上納するなど、幕府の御用商人として成功。横浜港の開港時に石炭の貿易商となり、石炭に加えて磐城の特産物も輸出するなど、横浜の発展にも尽力した。

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