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黒田長政(くろだながまさ)

安土桃山時代から江戸時代前期の武将、大名。筑前国福岡藩初代藩主。戦国大名・黒田孝高(くろだよしたか[官兵衛・如水])の嫡男。幼少時、豊臣秀吉の下で暮らし、後に家臣となる。『九州征伐』『文禄・慶長の役』などで活躍。秀吉の死後、『関ヶ原の戦い』では徳川家康に従う。功労者として筑前国約50万石を与えられ、福岡藩を立藩。福岡城を築いた。

細川忠興(ほそかわただおき)

戦国時代から江戸時代前期の武将、大名。長岡忠興(ながおかただおき)。茶人・細川三斎(ほそかわさんさい)。豊前国小倉藩初代藩主。肥後細川家初代。正室は明智光秀の娘・玉子(通称:細川ガラシャ)。足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、その時々の権力者に仕えた。各主君からの信頼が厚く、現在まで続く肥後細川家の基礎を築いた。

田中吉政(たなかよしまさ)

戦国時代から江戸時代初期の武将、大名。筑後国主。羽柴秀吉(豊臣秀吉)の甥・羽柴秀次(はしばひでつぐ[豊臣秀次])の宿老。転封した近江国八幡(現:滋賀県近江八幡市)、三河国岡崎(現:愛知県岡崎市)、筑後国柳川(現:福岡県柳川市)など各所で城下町を整備した。特に筑後では、柳川の掘割を整備して水運や用水路を整備。各地域を結ぶ街道を作るなど、陸路の整備も行なった。また、矢部川の護岸や有明海沿岸の堤防を整備し、有明海の干拓にも取り組んだ。

貝原益軒(かいばらえきけん)

江戸時代前期から中期の儒学者。1656年、福岡藩の藩医となり、翌年に藩費による京都留学で本草学や朱子学などを学ぶ。朱子学者の木下順庵(きのしたじゅんあん)や中村惕斎(なかむらてきさい)など数多くの学者や知識人たちと交わり、晩年まで交流を深めた。1664年に帰藩。朱子学の講義や朝鮮通信使への対応を任されるなど重責を担った。約50年間で多くの著述を行ない、経学、医学、民俗、歴史、地理、教育など、幅広い分野で先駆者的業績を残した。

山本作兵衛(やまもとさくべい)

明治時代から昭和時代の炭鉱労働者、画家。福岡県出身。小学校卒業後、山内炭坑の炭鉱員となり、約50年間、筑豊地方各地で炭鉱労働者として働く。その後、自身の日記や手帳の記録、経験や伝聞をベースに、明治末期から戦後までの炭鉱やその生活の様子を画用紙に墨で描くように。経験者にしか描けない数多くの“記録画”は、日本で初めてユネスコ記憶遺産(世界の記憶)の登録を受けた。

安田善次郎(やすだぜんじろう)

江戸時代末期から大正時代の実業家。安田財閥の祖。越中国富山生まれ。1858年、奉公人として江戸へ。その後、独立して、乾物と両替を商う安田商店を開業。そこから、銀行(現:みずほフィナンシャルグループ)、損保会社(現:損害保険ジャパン)、生保会社(現:明治安田生命保険)、東京建物などを次々と設立。釧路での鉄道敷設や炭田開発なども手掛け、多角化経営を行なった。結果、国家運営にも深く関わることに。ちなみに、東京大学の講堂“安田講堂”も寄贈。

大倉喜八郎(おおくらきはちろう)

明治時代から大正時代の武器商人、実業家。大倉財閥の祖。越後国新発田生まれ。1854年、江戸に出て、銃砲の販売で名を馳せる。その後、新政府の御用商人として、軍需品の調達や輸送、鉄道や建物関係の土木建設工事など行なう。時代の変化を先読みして洋服店を開業するなど、貿易や建設、繊維や食品など、幅広いジャンルの企業を数多く設立。渋沢栄一らと共に、鹿鳴館や帝国ホテル、帝国劇場なども設立した。

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