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南 信(みなみまこと)

仙台出身の建築家であり、近代建築の三大巨匠の一人として数えられるフランク・ロイド・ライトの弟子。ライトがスケッチした山邑太左衛門別邸(現ヨドコウ迎賓館)案を、同じく建築家の遠藤新とともにの実施設計を行った。

フランク・ロイド・ライト

19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したアメリカの建築家であり、ル・コルビュジェ、ミース・ファン・デル・ローエとともに近代建築の三大巨匠の一人として数えられる、世界で最も著名な建築家の一人。アメリカ大陸で多くの建築作品があり、日本にもいくつか作品を残している。

下河辺行平(しもこうべゆきひら)

鎌倉初期の武士。生没年不詳。幕府御家人。藤原秀郷の末裔。八条院領下総国下河辺荘の荘司。初めは平氏に従っていたが,源頼朝の挙兵に参画し,石橋山の戦に敗れた頼朝が安房に逃れた際に,その陣中に加わった。以後,志太義広の乱,平氏追討,奥州平定に活躍。頼朝の信任厚く,その宿所の護衛や息頼家の弓術の師を務めた。源氏の門葉に準ぜられたというが,その後のことは明らかでない。【出典:世界大百科事典 第2版 細川 涼一】

足利成氏(あしかがしげうじ)

室町中期の鎌倉公方。古河 (こが) 公方
持氏の子。永享の乱後も幕府にそむき捕らえられ上京。のち許され,1449年迎えられて鎌倉に入ったが,管領上杉氏と争い,幕府とも対立。’55年鎌倉を保つことができず,下総古河城に移り,古河公方と称して,堀越公方政知 (まさとも) と対立した。【出典:旺文社日本史事典 三訂版】

平賀保秀(ひらがやすひで)

下総佐倉出身の和算家。寛文元(1661)年常陸水戸藩にかかえられ、郡奉行となる。水戸藩の和算の草分けとされ、笠原水道の設計に尽力した。

伊奈備前守忠次(いなびぜんのかみただつぐ)

徳川家康の側近として、江戸初期、関東の土地・農業政策の基礎を築いた。三河(現在の愛知県西尾市)に生まれ、幼少のころから人並みはずれた秀才で知られた。徳川家康に仕え、三河・遠江・駿河の三州の奉行職として活躍する。豊臣秀吉による小田原攻めの際には、東海道中の道路整備や兵糧運送などを一手に担い、代官としての地位を固めた。
晩年は灌漑用水と千波湖の氾濫対策を目的に備前堀の開削に着手し、この堀の完成によって水戸藩の経済発展に大きな役割を果たした。

アーネスト・F・フェノロサ

アメリカ合衆国の哲学者・日本美術研究家。1878(明治11)年に東京帝国大学の教授として来日。やがて、日本画、仏像など日本美術に興味を持ち、感銘をうける。当時の日本では、西洋一辺倒の時代にあって日本の絵画や寺宝にはほぼ価値がないものをされていたところを、自国の美術品(芸術)は優れたものだと熱心に説いた。1882(明治15)年、上野の教育博物館で行われた講演で発表された『美術真説』は日本画の再興の道筋を示すものであった。
この動きにフェノロサと共に乗りだしたのが、狩野芳崖であり、大きなうねりを作り以後の日本美術界を牽引していったのが岡倉天心である。

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