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キツツキ戦法を見破る上杉謙信!伝えられる武田信玄との激闘の実態とは!?~第四次川中島の戦い~

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

キツツキ戦法を見破る上杉謙信!伝えられる武田信玄との激闘の実態とは!?~第四次川中島の戦い~

群雄割拠の時代
応仁の乱以降、自領を守るための小競り合いが全国で断続的に行なわれていた。そうしたなか、小勢力を制して数か国を支配する群雄が登場。武田、上杉、北条、今川、斎藤、毛利……。群雄が生き残りをかけて激闘を繰り返す時代が幕を開けます!

武田信玄が仕掛けたキツツキ戦法を見破った謙信。虚虚実実の駆け引きはなく、不意の遭遇戦だった!?

キツツキ戦法を見破った上杉謙信!川中島の戦い~武田信玄が仕掛けた

武田信玄に追われた北信濃の武将らは、越後の上杉謙信を頼りました。謙信も義侠心(ぎきょうしん)に加え、信濃と越後の国境安定のため、川中島に出陣します。

こうして始まった川中島の戦いは、天文22年(1553)から通算5回、足掛け11年に及びます。第1回〜第3回は小競り合いに終わりましたが、永禄4年(1561)の第4回は総力戦となった激闘として知られています。この時謙信は、信玄の「キツツキ戦法」を見破ったといいます。

これは妻女山(さいじょさん)の謙信を武田方の別働隊が奇襲して山麓へ追い落とし、八幡原(はちまんばら)で待ち受ける本隊とともに挟撃して殲滅する作戦でした。

謙信はこれを逆手に取って先に山を下り、八幡原に先回りして鶴翼(かくよく)の陣を布く武田軍に襲い掛かります。開戦当初は波状攻撃を繰り出す車懸かりの陣で武田軍を圧倒したが、やがて、妻女山で肩透かしを食らった武田方の別動隊が駆けつけると押し戻され、退却していったといいます。

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