更新日: 2024年1月18日
三島通庸が手掛けた「万世大路」が結んだ福島と米沢
福島~米沢間の道路は県境の急峻な峠や豪雪と闘い、時代により変遷。
明治時代に開削された万世大路は役目を終えた今、観光資源として注目されています。
目次
三島通庸が尽力した福島~米沢の道路整備
県境に奥羽山脈がそびえる福島~米沢間は中世以降、板谷峠を越える米沢街道がおもな交通路でした。
明治時代に馬車輸送に適した道が求められると、新道開削に豪腕を振るったのが、旧薩摩藩士で山形県の初代県令(現在の知事)三島通庸(みしまみちつね)です。道路整備は社会の繁栄に必須という信念をもち、強引な手法で交通の近代化を推し進めた「土木県令」として知られています。
三島通庸は道路開削を第一に県政を進めた
1876(明治9)年8月、三島通庸は県令に就任すると、道路開削を第一とする県政方針を掲げ、同年11月に県内道路計画を告示。
最長の隧道(ずいどう)(トンネル)が200m余りだった当時、栗子山(くりこやま)に約870mの隧道を掘って車道を通す案は大胆で、反対や不安の声が多かったといいます。ですが、三島通庸は福島県と協定を締結し、国の認可を待たず、12月には米沢側の刈安(かりやす)新道の工事に着手しました。
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