武田信玄の戦略図②西上作戦
武田信玄は信長・家康と同盟し、今川領へ侵攻
5次にわたる川中島の戦いを経て北信濃を巡る上杉謙信(うえすぎけんしん)との戦いを終えた武田信玄(たけだしんげん)は、勢力拡大の方向を関東や今川領へと切り替ました。
まずは北条氏康(ほうじょううじやす)ほか東北の諸大名や越中の一向宗らと、謙信包囲網を形成して背後を固め、西上野に進出。永禄9年(1566)に西上野の上杉方勢力の拠点・箕輪城を攻略します。
一方で海が欲しい武田信玄は、今川義元が戦死して弱体化した今川領の駿河奪取も狙います。そのため織田信長と同盟を結び、やがて今川、北条との三国同盟を破棄。異を唱える嫡男・義信(よしのぶ)も自害させています。
徳川家康と共謀して東西から今川領に侵攻し、元亀元年(1570)に駿河を平定、今川氏を滅亡させました。これにより、北条氏康との衝突が起こったが、翌年の北条氏康の死を契機に北条との同盟が復活しています。
武田信玄は信長包囲網に参戦して上洛
武田信玄は次に家康が手に入れた遠江に侵攻しました。そのため、武田信玄と家康、信長との対立が決定的なります。
そんな武田信玄のもとへ、反信長に執心する足利義昭からの上洛要請が届きました。
武田信玄は元亀3年(1572)、それに応じて西上を始め、三方ヶ原(みかたがはら)の戦いで徳川家康を破るなど快進撃を続けたが、発病し、翌年4月、信濃駒場(しなのこまば)にて陣没しました。
武田信玄の拡大路線は目まぐるしく変わった
西上野を手に入れた武田信玄は、今川義元の死で弱体化した駿河を狙い、三国同盟を反故にして徳川家康とともに今川領へ侵攻。2次にわたる侵略で今川氏を滅亡へと追いやっています。北条氏との同盟もこれによって破綻し、たびたび衝突が起こりました。
武田信玄 西上作戦
武田信玄の重要な資金源となったのは、金山です。武田家では黒川金山や湯の奥金山の開発を積極的に行ない、産出した金から碁石金という金貨を鋳造。家臣への褒美に用いていたと伝わります。
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【〝北条早雲〟の伊豆制圧―1493年】
地図:北条早雲の台頭を許した関東の情勢(北条早雲の関東進出の戦略がわかる)
【鉄砲伝来―1543年】
地図:火縄銃の波及(種子島に伝来した新兵器が多方面に広まっていく様がわかる)
【三好政権―1549年】
地図:三好政権の支配地(信長以前の畿内を支配した政権のしくみと失敗の構造がわかる)
【キリスト教伝来―1549年】
地図:イエズス会の布教体制(教区)(カトリックの布教体制とキリシタン大名の関係がわかる)
【桶狭間の戦い―1560年】
地図:合戦後の東海情勢(義元没後に起こった今川家崩壊の過程がわかる)
【第4回川中島の戦い―1561年】
地図:疑問だらけの大会戦(川中島の戦いに関する通説のウソがわかる)
【堺の降伏―1569年】
地図:堺の硝石と金(信長が畿内進出後真っ先に堺を押さえた理由がわかる)
【長篠の戦い―1575年】
地図:長篠の戦い戦況図(武田軍を鉄砲の前へ誘き寄せた信長の高度な戦術がわかる)
【大坂の夏の陣―1615年】
地図:徳川軍の進軍経路と大坂の陣(なぜ大坂城の南側が戦場となったのか?がわかる)
『地図でスッと頭に入る戦国時代』監修者
小和田哲男(おわだてつお)
1944年、静岡県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。現在、
静岡大学名誉教授。(公益財団法人)日本城郭協会理事長。専門は日本中世史。著書に
『家訓で読む戦国 組織論から人生哲学まで』(NHK 出版)、『戦国武将の生き方死に
ざま』(新人物往来社)、『明智光秀・秀満:ときハ今あめが下しる五月哉』(ミネルヴァ書房)
など多数。
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