更新日: 2024年1月20日
作曲家・古関裕而のメロディが昭和歌謡史に燦然と輝く!
「六甲おろし」に「長崎の鐘」、「モスラの歌」、「オリンピック・マーチ」から全国の校歌や応援歌まで、生涯で約5000曲を生み出した作曲家・古関裕而とはどんな人物だったのでしょうか。
古関裕而の幼少期
1909(明治42)年8月11日、 福島市大町にある市内有数の呉服店「喜多三(きたさん)」で誕生した古関裕而(こせきゆうじ)(本名・勇治)。
5歳の頃、 音楽好きだった父が当時はめずらしかった蓄音機を購入し、レコードを聴いたのが古関と音楽との出合いになりました。 小学3年生から卒業までは、担任の遠藤喜美治(きみじ)に唱歌とつづり方を習い、10歳頃からは卓上ピアノで作曲を始めました。
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