更新日: 2024年1月20日
福島事件や喜多方事件の勃発~自由民権運動の高揚と挫折~
憲法制定、国会開設、地租減免などを求めた自由民権運動では、福島が先駆的な役割を果たしました。
その中心人物が河野広中でした。
「福島事件」のきっかけとなった自由民権運動と明治新政府設立
徳川幕府が崩壊したあと、倒幕運動で中心的な役割を担った藩が明治新政府で実権を握りました。こうした藩閥政治に対し、憲法の制定や、民主的な議会の開設を望む政治運動が盛んになります。これを自由民権運動といいます。
その嚆矢(こうし)となったのは、1874(明治7)年に左院に提出された民撰議院設立建白書でした。板垣退助、江藤新平(えとうしんぺい)、副島種臣(そえじまたねおみ)、後藤象二郎(ごとうしょうじろう)は愛国公党(あいこくこうとう)を結成し、建白書の提出にこぎつけたのです。
福島県における自由民権運動
この運動に影響を受け、日本各地に自由民権を求める政治結社が誕生します。福島では1875(明治8)年に河野広中(こうのひろなか)が吉田光一(よしだこういち)とともに石川郡石川村(現・石川町)で石陽社(せきようしゃ)を結成。東日本における民権運動で先駆的な役割を果たしていきました。
地方政社・私塾と民権家の分布
石陽社の結成を皮切りに、政治活動を行う多数の政治結社が誕生しました。それにともない、活動家を養成する私塾も多数現れました。(※M.○.○=明治○年○月に結成の意)
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