更新日: 2024年1月20日
会津五街道はなぜ整備された?~福島県域各地と会津を結ぶ5つの街道~
会津若松から東北の各方面へと延びていくのが会津五街道です。
なぜ会津を中心に五街道が整備されたのか、そこに込められた意図を探ります。
五街道は江戸幕府が整備したネットワーク
1604(慶長9)年、江戸幕府は日本橋(東京都中央区)を起点とする5つの幹線道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)を整備しました。道中には宿場を設置し、各宿場に伝馬制(てんませい)を義務づけ、一里塚を設けるなど、五街道を基幹として日本中の隅々まで幕府の支配が及ぶようにネットワークが敷かれたのです。
奥州街道は福島県域を通る
このうち福島県域にかかわるのは奥州街道です。日本橋から宇都宮宿(栃木県宇都宮市)までは日光街道と重複し、その先で奥州方面へと向かうのが奥州街道であり、福島県域には白坂宿(白河市)から入り、中通りを通って須賀川宿、二本松宿、福島宿などを通過し、越河宿(こすごうじゅく)(宮城県白石市)へと抜けていきます。
福島県域の主要街道と宿駅
主要な城下町のあいだを結ぶように街道ができていきました。須賀川宿、郡山宿など、諸街道の結節点となる宿場はとくに栄えました。
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