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伊達氏の初代・伊達朝宗はどんな人物だったのか

伊達宗家の始まりは、平安時代末期から鎌倉時代初期の頃にまでさかのぼります。

源頼朝が奥州藤原氏を攻めた奥州征伐の際、常陸国伊佐荘(ひたちのくにいさしょう)(茨城県筑西(ちくせい)市)の常陸入道念西(ひたちにゅうどうねんさい)は4人の息子(為宗(ためむね)、為重(ためしげ)、資綱(すけつな)、為家(ためいえ))とともに鎌倉方の武将として参陣。石那坂の戦いで活躍し、戦後の論功行賞で源頼朝から伊達郡を与えられました。

常陸入道念西は伊達郡を“苗字の地”として伊達氏に改姓し、伊達氏の初代(伊達朝宗(だてともむね))となったとされています。

伊達氏の氏神として創建された亀岡八幡宮

伊達郡に入封した朝宗は、高子岡(たかこがおか)(伊達市)に居館を構えました。その際、鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)から勧請し、山上に亀岡八幡宮(かめおかはちまんぐう)を創建して伊達氏の氏神として祀りました。なお、工事の最中に亀が現れたことから、亀岡八幡宮と名づけられたと伝えられています。

伊達氏が幕府と接近していった室町時代

室町時代に入ると、幕府は奥羽を鎌倉府の管轄下に入れたものの、鎌倉府の長官である鎌倉公方は独立意識が高く、ことあるごとに幕府と対立しました。この時期に伊達氏は大仏城(だいぶつじょう)(福島市)に依って鎌倉公方に反旗を翻し、幕府に接近することになります。

伊達氏の居城移転とともに亀岡八幡宮も梁川に移される

伊達氏11代の持宗(もちむね)は、15世紀の初頭には梁川(やながわ)(伊達市梁川町)に居城を構え、このときに亀岡八幡宮も梁川に移し、梁川八幡宮(若宮八幡(わかみやはちまん))と合祀しました。

伊達氏は家中の紛争をきっかけに福島県域を離れることに

伊達氏は稙宗(たねむね)の代に幕府にはたらきかけて陸奥守護に補任され、婚姻外交を軸に奥羽に一大勢力を築きました。この頃に居城を梁川から桑折西山城(こおりにしやまじょう)(桑折町)に移しています。

しかし、稙宗は息子の晴宗(はるむね)と対立し、家中に紛争を招いてしまいます(天文の乱)。結局、稙宗は隠居し、桑折西山城は破却されます。これにともなって晴宗は拠点を米沢城(山形県米沢市)へ移すことになり、かくして伊達氏の本拠は福島県域を離れることになりました。

天文の乱は足かけ7年(1542~1548年)続き、一時的に衰退した伊達氏が勢いを取り戻すのは晴宗の子・輝宗(てるむね)の代になってからであり、その子・政宗の誕生により伊達氏は最盛期を迎えます。

伊達氏ゆかりの神社として今も信仰を集める梁川八幡宮

なお、伊達氏が米沢に居城を構えてからは、一時的に桑折西山に移っていた鶴岡八幡宮が梁川の地に戻ってきました。以降も伊達氏とのかかわりは深く、1582(天正10)年、伊達政宗は初陣の際に梁川八幡宮で戦勝祈願を行っています。のち御神体は仙台に移りますが、八幡宮自体は梁川に残り、伊達氏ゆかりの神社として今日まで伝わっています。

福島県域の伊達氏歴代居城

福島県域の伊達氏歴代居城

伊達氏は福島県域を発祥とし、やがて東北南部の広範囲を支配下に収めました。しかし、のちに秀吉によって福島・山形県域の領地は没収されました。

高子岡城

桑折町を一望する丘の上に築かれました。

福島城(大仏城)

かつて城内に大仏がありました。蒲生氏の時代に福島城と改称。現在は県庁などが立っています。

梁川城

伊達氏、蒲生氏を経て関ヶ原合戦の頃、上杉氏の家臣 ・須田氏が改修。土塁や堀跡が残ります。

桑折西山城

2019(平成31)年に、本丸の中心建物の間取りが復元されました。

黒川城(会津若松城)

黒川城(会津若松城)

蘆名氏が築き、蘆名義広を破った伊達政宗が入城。のちに蒲生氏が天守をつくります。

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・阿武隈山地や奥羽山脈が境目!浜通り・中通り・会津の3地域
・いわきで発掘された首長竜化石フタバスズキリュウとは?
・福島市がぽっかり入る福島盆地はどうやってできた?
・福島発展の礎を築いた常磐炭田
・磐梯山の大噴火と裏磐梯・五色沼湖群の形成
・猪苗代湖畔からウニ化石!?劇的な会津の地形の成り立ち
・石川町が日本三大産地のひとつ ペグマタイトとはどんな岩石?
・大改修から100年が経過 暴れ川・阿武隈川の今と昔

などなど福島のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2:福島を駆け抜ける鉄道網

・東北本線旧線の黒磯~白河間には明治時代の面影が残されている!?
・日本最大のC62形SL牽引「ゆうづる」が走った常磐線
・かつては東京と新潟を結ぶ架け橋、会津地方の大幹線・磐越西線
・東京・浅草から特急が直通しトロッコ列車も走る会津鉄道
・かつて硫黄輸送で活躍した猪苗代町の沼尻鉄道とは?
・只見川に架かる数々の鉄橋ほか 魅力いっぱい絶景鉄道・只見線

などなど福島ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3:福島で動いた歴史の瞬間

・人間の歯や骨をペンダントに!?原始福島の不思議な弔い
・東北地方最古の前方後円墳!会津大塚山古墳が示す会津の力
・浜通りに古代製鉄遺跡を発見! なぜ大規模な製鉄が行われた?
・中世史総論(関東武士が進出し国盗り合戦!白河・伊達・蘆名・岩城氏の攻防)
・南北朝時代に南朝が拠点とした幻の寺院城郭・霊山寺とは?
・伊達氏のルーツは福島にあり!奥州制覇を果たす道のり
・相馬地方を約700年統治した古豪・相馬氏とはどんな一族?
・奥州きっての城下町・若松はどのようにして生まれた?
・会津若松城で籠城戦を続けた会津藩が開城に至るまで

などなど、激動の福島の歴史に興味を惹きつける。

Part.4:福島で育まれた産業や文化

・最澄と大論戦した僧・徳一が開祖!慧日寺から始まった会津の仏教文化
・猪苗代湖の水を郡山へ! 幹線延長52㎞の安積疏水事業
・県境には二ツ小屋隧道が残る 福島と米沢を結んだ万世大路
・東北唯一の中央競馬場が福島市につくられたわけ
・幕府直営の半田銀山 明治時代は五代友厚が経営
・感染症と闘い続けた細菌学者・野口英世の生涯
・日本酒の金賞受賞数日本一!福島の地酒はなぜすごい?

などなど福島の発展の歩みをたどる。

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