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日中線とはどんな路線だった?~国鉄時代に消えたローカル線~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月18日

日中線とはどんな路線だった?~国鉄時代に消えたローカル線~

廃止されるまで、1日にわずか3往復しか走らなかった日中線。
「日中は走りま線」と揶揄されたローカル線ですが、終点には記念館もあります。

日中線とは

日中線は、磐越西線の喜多方駅から会津盆地を北上し、温泉のある熱塩(あつしお)までの11.6㎞を走っていました。国鉄末期の1984(昭和59)年4月に廃止されたローカル線です。

磐越西線の支線のように思えますが、じつは「山形県米沢ヨリ福島県喜多方ニ至ル鉄道」と改正鉄道敷設法に明記されたように、「野岩羽線構想」の一部として、1938(昭和13)年8月に喜多方~熱塩間が開業したのが始まりです。

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