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【岡倉天心の美術人生】日本美術への開眼と日本画の改革
岡倉天心が美術に関心をもつ契機となったのは、アーネスト・フェノロサとの出会いでした。フェノロサは東京大学に政治学・理財学・哲学担当教師として赴任していたお雇い外国人で、日本の古美術品の熱心なコレクターでもありました。岡倉天心は、東大在学中にフェノロサの助手となり、調査に同行するうちに、自らも日本の美術の魅力にとりつかれていきます。
近代化によって西洋文化が流入し、「西洋画」という言葉や概念が普及すると、それに対する「日本画」という言葉が生まれ、日本独自の美術を探求する動きが起こります。その中心にいたのがフェノロサであり、岡倉天心でした。
岡倉天心は「新しい日本画」を目指し、それまでの日本画の改革を進める
岡倉天心は、文部省官僚を経て、1890(明治23)年27歳にして東京美術学校(現・東京藝術大学)の校長に就任。日本の伝統と独自性を守りつつ西洋の技法を取り入れた「新しい日本画」の創造を目指し、横山大観(よこやまたいかん)、菱田春草(ひしだしゅんそう)、下村観山(しもむらかんざん)らを育てました。1898(明治31)年には校長を辞して日本美術院を創設し、日本画のさらなる改革に身を投じます。
岡倉天心の目指す「新しい日本画」は受け入れられず
岡倉天心は、西洋画に見られる光や立体感、豊かな色彩の表現を日本画に取り入れようとしていました。そこで弟子の横山大観や菱田春草が試みたのは、墨による輪郭線を排除し、色彩の濃淡やぼかしを用いて空気感や情感を表現する没線描法(もっせんびょうほう)でした。しかし、それらの画法は、技術の未熟さを隠すためのごまかしで、伝統への冒涜であると厳しく非難され、「朦朧体(もうろうたい)」と揶揄されます。世間の評価が得られず、日本美術院は行き詰まっていきました。
【岡倉天心の美術人生】海外で受け入れられた「新しい日本画」
岡倉天心は海外に目を向けました。1901(明治34)年にはインドでタゴール(詩人)と交流し、1904(明治37)年にはボストン美術館の中国・日本美術部に迎えられます(1910年から同美術部長)。1904( 明治37)年、岡倉天心に従って渡米した大観・春草は、アメリカ各地で展覧会を行って好評を博し、翌年にはヨーロッパを巡回。いっぽう、岡倉天心や主要作家の長期不在は、日本美術院をますます衰退させました。
岡倉天心は「東洋のバルビゾン」と称した五浦へ移住
ボストンと日本を往復しながら東洋文化についての思索を深めるなか、岡倉天心は1906(明治39)年、日本美術院の拠点を五浦に移して再スタートを切ります。岡倉天心に呼び寄せられ、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山(きむらぶざん)ら愛弟子も家族をともなって五浦に移住します。
そんな五浦の地を岡倉天心は「東洋のバルビゾン」と称しました。バルビゾンとは、ミレーなどの風景画家が集まり、「画家たちの村」と称されるフランスの小さな村のことです。
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【岡倉天心の美術人生】五浦で花開いた「新しい日本画」
弟子たちは、東京から遠く離れた五浦の地で制作に専念し、研究と実践を重ねます。色彩や構図の研究を通して、朦朧体も進化を遂げ、新たな境地を切り開いていきました。やがてその作品群は新設された文部省美術展覧会(文展)など美術界で高い評価を受け、近代日本画の名作として語り継がれていくことになります。
日本人としての原点である自国の文化に誇りを持ち、西洋の風も取り入れた気鋭の近代画家たち。風光明媚な五浦は、彼らの志と理念を追求するにふさわしい地でした
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