更新日: 2024年1月14日
東海村の歴史~日本の原子力の発展とともに歩みリードした小さな村
日本の原子力発祥の地であり、原子力の研究・技術開発をリードしてきた東海村。臨界事故や東日本大震災を経て、原子力との関係は転換期を迎えています。
東海村に原子力施設が設置されたのはなぜ?
東西・南北とも約8㎞で円形に近く、約38㎢の小さな村内に、研究所や発電所、燃料工場などの原子力関連施設が集う東海村。原子力の発展とともに歩んできた歴史は1956(昭和31)年、原子力施設の設置先が東海村に閣議決定されたことに始まります。
第二次大戦後、原子力の平和利用が国際的に注目されるなか、日本でも法律と組織が整備され、原子力研究開発の中核となる日本原子力研究所(原研)が1955(昭和30)年に発足。神奈川県横須賀市武山(たけやま)、群馬県高崎市、同岩鼻(いわはな)村(現・高崎市)、水戸市付近が研究所の建設候補地に選定されました。
そのなかで水戸市に近い東海村は、海に面した広大な国有林・県有林を計約350万㎡有し、近くに久慈川(くじがわ)や阿漕ヶ浦(あこぎがうら)があって水利の便がよく、条件がそろっていました。県知事や村長ら関係者が一丸となった積極的な誘致も奏功し、建設地が東海村に決まったのです。
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