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江戸へ米を運んだ千石船とは

石巻に運ばれてきた米は、「千石船(せんごくぶね)」(弁財船、天当船(てんとうぶね)とも)と呼ばれる大型船に移されて江戸へ運ばれます。大きさは、1000石積みで全長14m、幅7m、高さ2.4m、帆柱24m、帆21mほどだったといいます。仙台藩の千石船としては、700~800石積みを中心に、藩所有の「御穀船(ごこくせん)」が14隻、民間の穀船が36隻あったと記録されています。

推進力は風力のみ。初期の千石船は一枚帆のため順風でしか進めず、まさに風任せの船でした。天候が重要となるため、出航前に船頭たちは石巻の日和山に登り、潮の状態や海上の天気を確認したといいます。江戸中期には木綿布の二枚帆を備えるなど航行能力の向上によって、風上に航行することも可能になりました。

石巻の歴史:湊にぎわいとその後

石巻には大型船の着岸が難しかったため、満潮を待ったり、艀舟(はしけぶね)で河岸から大型船に物資を積み込んだりしました。石巻湊にはさまざまな舟が行き交い、商人や水夫、荷物の積み下ろしを担う労働者などが集まってにぎわいました。

米を出荷した千石船は、江戸や上方の商品を積んで帰ってきます。これらの商品は、仙台商人によって売りさばかれました。東廻航路の千石船では、藩と一部の特権商人が積み荷の大半を握っていたため、自由な営業を求めて業者間の紛争が起きたこともあるといいます。

明治時代に鉄道の敷設とともに衰退しますが、1960年代に工業港として再び発展します。

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●地図で読み解く宮城の大地

・複雑な地形が美しい三陸と松島はどうやってできた?
・奈良の大仏のメッキには涌谷産の金が使われていた!
・県西部に連なる火山群と数々の温泉地の関係とは、荒れ狂う北上川が舟運路に!
・伊達政宗が始めた一大治水事業、暗渠化した四ツ谷用水をたどると見えてくる伊達政宗の町づくり
・「杜の都」の由来となった森はいったいどこにある?
・東京駅丸の内駅舎に使われた雄勝石をめぐる波乱のドラマ

などなど宮城のダイナミックな自然のポイントを解説。

●宮城に開かれた道の歴史

・東北中の人々が旅した奥州街道!その繁栄を支えた宿場の光と影
・険しい奥羽山脈を越えて宮城と山形を結んだ道の歴史
・海運時代の幕開けとともに活発化した阿武隈川の舟運とは?
・野蒜港計画とともに消えた幻の巨大運河ネットワーク構想
・東北新幹線が仙台駅前後で不自然に蛇行する理由とは?
・東京メトロより古い 日本初の地下路線があった仙石線

などなど、意外と知られていない宮城の交通トリビアを厳選してご紹介。

●宮城で動いた歴史の瞬間

・宮城の豊かさを伝える旧石器や縄文の遺跡が各地に!
・東北最大の雷神山古墳が示す仙台・名取の有力豪族
・東北支配の拠点となった陸奥国郡山官衙と多賀城
・藤原家三代秀衡が陸奥守に就任・宮城の地も藤原家の統治下に
・室町時代に権勢を誇った大崎氏・名生館の屋敷で伊達氏らが拝謁
・敵を寄せ付けぬ天然の要害 正宗の拠点・仙台城が完成
・伊達62万石を揺るがせた伊達騒動の顛末を追う
・元禄バブル崩壊で財政危機!5代吉村が改革に乗り出した
・飛行隊基地に陸軍駐屯所など軍都としても栄えた宮城県

などなど、興味深いネタに尽きない宮城の歴史。知れば知るほど宮城の歴史も面白い。

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