更新日: 2024年1月18日
河村瑞賢が開発した東廻航路で一気に活発化した阿武隈川の舟運
江戸に大量の米を運ぶため、水上交通路の整備が幕府の喫緊の課題となりました。
旗振り役を任された江戸商人・河村瑞賢がとった手だてとは。
河村瑞賢が東廻航路を開発する以前の阿武隈川の舟運
江戸時代になり幕藩体制が敷かれると、年貢米や参勤交代に必要な物資を江戸へ運ぶ必要がでてきました。馬1頭には米2俵しか載せられず、陸路はあまりに効率が悪いのですが、舟なら一度に大量の米を運ぶことができました。米の輸送、また輸送する米そのものを「廻米(かいまい)」と呼びます。
仙台藩の史料に江戸廻米が初めて現れるのは1620(元和6)年。船で奥州沿岸から南に運ばれた米は、銚子で川舟に積み替えられ、利根川経由で江戸に送られました。
阿武隈川では、1664(寛文4)年に江戸商人の渡辺友以(わたなべともい)が福島城下近くから水沢(みずさわ)・沼ノ上(ぬまのうえ)(現在の宮城県丸森町)までの河川改修を行い、亘理(わたり)の荒浜湊(みなと)から江戸へ米を送りました。
このように、江戸時代初期から廻米は行われていましたが、当時の船は300~500石積みと小さかったため、難破の危険が大きく時間もかかりました。
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