更新日: 2024年1月14日
満蒙開拓青少年義勇軍のためにつくられた内原訓練所・日輪兵舎とは?
満蒙開拓青少年義勇軍を満州へ送出する基盤となったのが内原訓練所です。そこでは訓練生の寄宿舎として、たくさんの日輪兵舎が建設されました。
満蒙開拓青少年義勇軍とは?
1932(昭和7)年、日本は清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)を擁立し、中国東北部に傀儡国家「満州」を建国しました。満州国樹立を主導した関東軍は、昭和恐慌で疲弊する日本の農村から農業移民者を満州国へと入植させ、植民地経営の一翼を担う労働力を確保しようと企図します。そのために組織されたのが満蒙(まんもう)開拓団です。
しかし、1937(昭和12)年に廬溝橋(ろこうきょう)事件に端を発して日中戦争が勃発すると、徴兵や戦時景気の労働力需要により、成人移民の確保が困難になります。そこで、未成年を開拓民として満州国に送出するために、拓務(たくむ)省は満蒙開拓青少年義勇軍を組織します。同年11月30日に「満州に対する青少年移民送出に関する件」が閣議決定され、翌1938(昭和13)年1月から募集が開始されます。
応募資格には年齢制限が設けられ、数え年で16~19歳の、高等小学校を卒業した男子が対象とされました。困窮農民の出稼ぎというマイナスイメージを払拭し、国家に奉仕する軍の一翼と印象づけるために、当初は「満蒙開拓青少年移民」とされていた名称は「満蒙開拓青少年義勇軍」に変更されました。
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