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【茨城県の誕生】廃藩置県で成立した18県が現在の形に統一されるまで 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

【茨城県の誕生】廃藩置県で成立した18県が現在の形に統一されるまで

明治の「御一新」で政治体制は大きく様変わりしました。その渦中で自治体の再編が繰り返され、ようやく現在の茨城県域が確定することになります。

茨城県誕生までの背景

1868年1月3日(慶応3年12月9日)、徳川慶喜の大政奉還を受け、明治天皇が「王政復古の大号令」を発しました。これにより江戸幕府は解体し、明治新政府が発足したのです。

明治維新によって日本の政治体制は刷新されますが、瞬時に変革がもたらされたわけではなく、段階的な制度変更が繰り返されます。その混乱の様子は、藩から県への地域の再編史にも見てとれるでしょう。

明治維新を迎えた頃、現在の茨城県域には14藩が存在しました。それ以外にも、天領や旗本領、さらには領外諸大名の飛地などが入り乱れる状況でした。新政府は、大名所領(藩領)は従来どおり据え置き、天領や旗本領は接収して直轄支配しました。直轄支配地には府県が置かれ、府藩県三治体制が敷かれます。常陸では、下総知県事は葛飾(かつしか)県、常陸知県事は若森(わかもり)県、上総安房知県事は宮谷(みやざく)県をそれぞれ管轄地としました。

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