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徳川斉昭の尊王攘夷思想が桜田門外の変や天狗党の乱に!

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

徳川斉昭の尊王攘夷思想が桜田門外の変や天狗党の乱に!

徳川斉昭は藩校での教育に力を注ぎ、水戸学から尊皇攘夷思想が育まれました。この思想は幕末の志士に多大な影響を及ぼすことになります。

徳川斉昭は幕末を代表する為政者

9代目水戸藩主の徳川斉昭(なりあき)は、さまざまな藩政改革に着手した幕末を代表する為政者であり、死後には「烈公(れっこう)」の諡号が贈られたことでも知られています。

徳川斉昭の改革は経界の義(全領検地)、土着の義(藩士の農村への土着)、学校の義(藩校や郷校の設置)、惣交代(そうこうたい)の義(定府制の廃止)の4項目に大別でき、このうち「学校の義」に含まれる施策として、1837(天保8)年に三の丸内(水戸市三の丸)に弘道館(こうどうかん)が創設されました。弘道館は日本でも最大規模の藩校であり、藩士に文武の修練を積ませることを目的に、儒学や国学のほかにも医学や蘭学、天文学などの自然科学の分野も幅広く取り入れられました。

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