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佐竹義重・義宣時代に常陸を統一!佐竹家の栄枯盛衰 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

佐竹義重・義宣時代に常陸を統一!佐竹家の栄枯盛衰

常陸国内でもっとも広い版図(はんと)を築いた武家が佐竹氏です。戦国時代には54万石を領しますが、そこへ至るまでは苦難の連続でした。

佐竹氏はどんな一族?

新羅三郎(しんらさぶろう)こと源義光を祖とする河内源氏からは、常陸国内では佐竹氏が勢力を確立しました。義光の孫・昌義は常陸国久慈郡佐竹郷(常陸太田市稲木町周辺)に土着したことから、郷名の「佐竹」を名乗るようになります。

平安時代の終わり頃には、佐竹氏は那珂川以北の奥七郡(多珂郡、久慈東郡、久慈西郡、佐都(さと)東郡、佐都西郡、那珂東郡、那珂西郡)を支配していました。しかし、治承(じしょう)・寿永(じゅえい)の乱に際しては平氏政権に与し、源頼朝に所領を没収されてしまいます。常陸国守護に任じられたのは筑波郡小田邑(つくば市小田)を本拠とした小田氏の祖である八田(はった)氏で、奥七郡の支配権は宇佐美氏や伊賀氏、二階堂氏などに移ります。やがて、鎌倉幕府の実権が源家から執権北条氏に代わると、北条得宗家が各郡の地頭職を獲得することになります。この頃は佐竹氏にとっては不遇の時代でした。

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