更新日: 2024年1月14日
【茨城県の歴史】源頼朝が佐竹氏・平氏討伐!鎌倉御家人たちが入国
源頼朝は平家政権を打倒する前に常陸国に入り、坂東の平定に乗り出します。中央政府の政争に巻き込まれ、翻弄される常陸国の歴史が始まるのでした。
目次
【茨城県の歴史】佐竹氏討伐によって鎌倉幕府の御家人によって支配された常陸国
日本最初の武家政権は、源頼朝が鎌倉(神奈川県鎌倉市)に樹立した鎌倉幕府です。伊豆(静岡県伊豆市)で挙兵した頼朝は石橋山の戦い(神奈川県小田原市)で敗北を喫したあと、海路で安房国(あわのくに)(千葉県)まで逃れ、坂東武士の協力を仰いで体勢を立て直します。そして1180( 治承4)年10月、富士川の戦いで平家に勝利しました。
そのまま西上するかに見えた頼朝でしたが、まずは坂東平定に乗り出します。このとき頼朝は常陸国に入り、平家に加担していた佐竹氏を征伐するのでした。それまでに佐竹氏が領していた常陸国の奥七郡は没収され、常陸国は鎌倉幕府の御家人によって支配されることになったのです。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!