更新日: 2024年1月14日
舟塚山古墳は茨城県内最大の古墳で地方王権の誕生を示す
茨城県内で最大の規模を誇る古墳が舟塚山古墳。なぜこの場所に古墳群が築かれたのか、被葬者は誰なのか。そこに地方王権の誕生が見えてきます。
舟塚山古墳の位置とその大きさ
霞ヶ浦に注ぐ恋瀬川(こいせがわ)河口の台地上には、霞ヶ浦を見下ろすようにして、舟塚山(ふなつかやま)古墳(石岡市北根本(きたねもと))があります。舟塚山古墳の全長は186m(周溝部を含めると220m)で、前方部の幅100m、高さ10m、後円部の径90m、高さ11m。茨城県内最大の前方後円墳であり、東日本では天神山(てんじんやま)古墳(群馬県太田市)に次ぐ大きさを誇ります。
舟塚山古墳の周辺
この舟塚山古墳を中心として、合計41基(前方後円墳5基、円墳20基、方墳2基、不明14基)の古墳によって舟塚山古墳群が形成されています。舟塚山古墳群周辺が、この地方の古代文化の中心地であったのでしょう。このうち舟塚山古墳から北東300mにある全長96mの府中愛宕山(ふちゅうあたごやま)古墳は、舟塚山古墳と同様の前方後円墳であり、霞ヶ浦からの位置関係から「入船(いりふね)(舟塚山古墳)」「出船(でふね)(府中愛宕山古墳)」と並び称されています。
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