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筑波鉄道の成り立ちと歴史

筑波鉄道は、常磐線と水戸線を連絡する軽便鉄道として計画され、1918(大正7)年4月に土浦〜筑波間が開業。同年6月に真壁駅まで延伸し、9月に岩瀬駅まで全通しました。開業時の機関車はわずか3両の脆弱な路線でしたが、1925(大正14)年10月、筑波山に鋼索鉄道が関東で2番目のケーブルカーとして開業すると乗客は増加しました。

さらに、翌年5月から上野〜筑波間に早くも直通臨時列車を走らせると、筑波山への登山客輸送も好調となります。また、岩瀬駅から先、宇都宮まで宇岩線の延長計画もあり、1928(昭和3)年に免許を取得しますが、これは実現できませんでした。その後、1943(昭和18)年に戦時統合により常総鉄道と合併し常総筑波鉄道となりました。

筑波鉄道の最盛期

戦後は昭和30年代を最盛期に筑波山の観光客輸送に力を注ぎ、国鉄からの直通列車が多数乗り入れました。上野方面からは土浦駅経由、水戸方面からは岩瀬駅経由で客車列車により直通運転され、筑波線内はディーゼル機関車が牽引しました。

春・秋の休日の運転が中心でしたが、平日には小・中学生を対象とした校外学習列車も運転しました。車両も自社線内用に大型の気動車キハ500形を新製し、土浦〜筑波間ノンストップの急行「つくばね」も運転していました。

筑波鉄道もモータリゼーションの波に呑まれる

1965(昭和40)年6月には、常総筑波鉄道は鹿島参宮鉄道と合併し、関東鉄道の筑波線となりますが、モータリゼーションの進行により乗客離れが進みます。
筑波線は関東鉄道から分離され、筑波鉄道(2代目)の筑波線となりました。国鉄からの直通運転は引き続き行われ、上野駅からの「筑波」、日立駅からの「筑波山」を観光シーズンに運転し大いに賑わいました。
しかし、経営は好転せず1965(昭和40)年に412万人だった旅客数は1975(昭和50)年には298万人、1985(昭和60)年には130万人に減少し赤字が増大。このため廃止が決定し、1987(昭和62)年3月をもって運行を終了。翌4月に廃止されました。

筑波鉄道筑波線の路線

筑波線は土浦駅〜岩瀬駅間の40.1㎞を18駅で結んでいました。筑波山の登山口は、鉄道がなかった時代は北条(常陸北条駅付近)経由でしたが、鉄道とケーブルカー(1925年開業)ができて筑波駅を起点とする新登山口へ移りました。

現在の地図上にかつての筑波線の路線図を表しています

筑波鉄道の廃止後

筑波鉄道廃止後、線路跡はほぼ全線がサイクリングロード(茨城県道505号桜川土浦潮来自転車道線、愛称・つくば霞ヶ浦りんりんロード)として整備され、多くの駅のホームなどが残されています。鉄道路線からの転用なので急な勾配や曲線がなく走りやすく、旧駅舎を利用した休憩所もあるなど魅力的な自転車道となり、筑波鉄道は大きく生まれ変わりました。

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・国内で2番目に大きい湖、霞ヶ浦はどのようにしてできた?
・壁面の岩に海底火山の証!名瀑・袋田の滝が誕生するまで
・平磯海岸の恐竜時代の地層から、アンモナイトや国内初のサメ化石!
・県南部で続々と化石発見! 茨城に生きたナウマンゾウ
・南北に約95m広がる大炭田、常磐炭田を生んだ地層と産業史

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【見どころ】Part.2 茨城を駆け抜ける鉄道網・交通網

・特急「はつかり」「ひたち」が走る大幹線・常磐線
・第二常磐線構想で生まれたつくばエクスプレス
・奥久慈清流ラインの異名をもつ魅力あふれる水郡線
・めずらしい非電化通勤路線、関東鉄道常総線・竜ヶ崎線
・鹿島参宮鉄道に始まった、鹿島鉄道鉾田線の在りし日
・水戸~石岡を結ぶ計画も……幻の水戸電気鉄道とは?
・阿見線に加え谷田部線? 常南電気鉄道による幻の計画

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【見どころ】Part.3 茨城で動いた歴史の瞬間

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・地方王権の誕生を示す県内最大の古墳・舟塚山古墳
・石岡に置かれた常陸国府とそれを取り巻く交通路の痕跡
・常陸で成長した武家の二大勢力 常陸平氏と佐竹氏
・源頼朝が佐竹氏・平氏討伐! 鎌倉御家人たちが入国
・長い不遇の時代を経て佐竹氏が常陸の覇者に返り咲く
・水戸で育った尊王攘夷思想 桜田門外の変や天狗党の乱に発展

…などなど、激動の茨城の歴史に興味を惹きつける

【見どころ】Part.4 茨城で育まれた産業や文化

・水戸藩に飲料水を運んだ地下水路・笠原水道
・東洋一の航空基地 霞ヶ浦海軍航空隊が置かれた街・阿見町
・2000万人超が来場した科学博、つくば万博の熱狂と跡地の変身
・鉱山開発と日立製作所の歴史
・原子力とともに歩んだ東海村の半世紀
・陸の孤島だった鹿島が臨海工業地帯になるまで
・野菜産出額日本一の街が茨城に!? 鉾田市で農業が盛んな理由とは

…などなど茨城の発展の歩みをたどる。

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