更新日: 2024年1月14日
魅力あふれる水郡線の歴史~奥久慈清流ラインの異名をもつ~
太田馬車鉄道として開業し、紆余曲折を経て全通した水郡線は、久慈川の車窓風景が美しく、行楽シーズンには臨時の観光列車が運転されます。
水郡線の歴史
水郡(すいぐん)線は、水戸〜安積永盛(あさかながもり)間の137.5㎞と上菅谷(かみすがや)〜常陸太田(ひたちおおた)間の9.5㎞を結ぶ非電化のローカル線です。歴史は古く、全通までにかなりの時間を要しています。
茨城県内の常磐線と東北本線を結ぶ横断線は明治末期に白河高萩線、白水線(白河〜水戸)が計画されますが、いずれも実現しませんでした。そのいっぽうで、水戸と常陸太田を結ぶ太田馬車鉄道は1892(明治25)年に認可されます。これが水郡線の始まりです。
水郡線の前身、太田馬車鉄道
太田馬車鉄道は、動力を蒸気に変更して普通鉄道の太田鉄道となり、1897(明治30)年11月に水戸〜久慈川(くじがわ)(のちに廃止)間を開業。久慈川に架橋し、1899(明治32)年4月に太田駅まで全通させました。しかし、経営は苦しく、1901(明治34)年、新たに設立された水戸鉄道(水戸線の前身の水戸鉄道とは別会社)へ移管され太田鉄道は解散します。
その後、水戸鉄道は上菅谷から分岐する鉄道を計画し、1918(大正7)年10月までに常陸大宮まで開業させますが、以北は国が建設することになり大郡(だいぐん)線として路線を延伸します。1927(昭和2)年12月に常陸大子まで開業したところで、水戸鉄道は政府に買収されました。
水郡線の全通
郡山側が水郡北線、水戸側が水郡南線として工事が進められ、1934(昭和9)年12月にようやく全通、晴れて両線を合わせて水郡線となりました。上菅谷〜常陸太田間はこれにより水郡線の支線扱いとなりますが、本来はこちらが元祖です。
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