笠間焼の歴史
笠間焼の起源は、安永年間 (1772~1780年)に箱田(はこだ)村(現・笠間市箱田)の名主・久野半右衛門道延(くのはんえもんみちのぶ)が、信楽(現・滋賀県甲賀市信楽町)の陶工・長右衛門(ちょうえもん)の指導下で開窯した「箱田焼(はこだやき)」とされます。もうひとつの源流「宍戸焼(ししどやき)」は、天保年間(1830〜1843年)に陶工・山口勘兵衛(やまぐちかんべえ)が現・笠間市大田町で開窯しました。
寛政・文化年間(1789〜1817年)、笠間藩主・牧野貞喜(まきのさだはる)が製陶業を保護・奨励。1861(文久元)年には、8代藩主・貞直(さだなお)により6つの窯元が藩の御用窯「仕法窯(しほうがま)」に指定され、笠間は焼き物の一大生産地に発展していきます。
笠間焼の特長と進化
笠間の粘土はいずれも粒子が細やかで粘性が高く、成形しやすい。しかし、型を使う成形が難しいため、ろくろによる成形技術が発達します。鉄分が多く焼成後に褐色化するのが特徴で、素焼き後に、地元産の馬廻石(まめぐりいし)や木灰などを原料とする釉薬(ゆうやく)を掛けた素朴な製品が多く生産されました。
藩の庇護を失った明治時代、美濃の大垣藩(現・岐阜県大垣市)から笠間に移り住んだ陶器商・田中友三郎(たなかともさぶろう)が、箱田焼や宍戸焼などを「笠間焼」と総称し、販路を拡大。笠間焼の名は全国に広まりました。
その後、生活様式が変化し、プラスチックや金属製品が普及すると、陶器需要は減少。それまで笠間焼は甕やすり鉢などの厨房用粗陶品が中心でしたが、茨城県窯業指導所(現・茨城県立笠間陶芸大学校)や笠間焼協同組合などを設立し、官民一体で工芸陶器への転換を図り、窯業の振興に努めました。
1960〜1970年代には窯業団地を造成。民芸ブームも影響し、全国から若手作家が集まり、新しい表現や技法による作品が生み出されます。指導所で基礎技術を体系的に学んだ後は、独立して開窯する作家が多く、多様で自由な作風が育まれました。いっぽう、江戸時代からの技術も継承され、笠間焼は国の伝統的工芸品に指定されています。
笠間焼に使われる陶土のおもな採取地
花崗岩が風化堆積した良質な粘土に恵まれた笠間地域。ピンク色で示した箇所が過去の陶土採取地。下市毛(しもいちげ)(手越粘土)や下加賀田(しもかがた)(宍戸粘土)は砂鉄が多い蛙目粘土。箱田(間黒=まぐろ粘土)や笠間などは細粒砂で粘りが強いのが特徴。笠間小学校造成時(昭和50年代)の土は今も使われています。
笠間焼の現在とおすすめスポット
近年は、粘土の枯渇や都市化により、市内での土の採取が難しくなるなかで、笠間らしさを出す方法の研究が進みます。笠間の土は成形しやすい半面、乾燥や焼成に伴う収縮が大きく、他産地粘土を配合するのが一般的ですが、2013(平成25)年には笠間の土100%の「純・笠間焼」が開発されます。
現在は、陶芸が体験できる「笠間工芸の丘」「茨城県陶芸美術館」、ギャラリーなどが市内に点在。約300人の陶芸家が活動し、陶器市「陶炎祭(ひまつり)」は毎年50万人の来場者でにぎわっています。東日本大震災では市内の登り窯がすべて損壊したが、多くの市民がサポートし全基復興した。笠間は陶芸の街であり、笠間焼は地元の誇りなのです。
茨城県陶芸美術館
- 住所
- 茨城県笠間市笠間2345笠間芸術の森公園内
- 交通
- JR常磐線友部駅からかさま観光周遊バスで10分、工芸の丘・陶芸美術館下車、徒歩3分
- 料金
- 大人310円、高・大学生260円、小・中学生150円、70歳以上150円、企画展は別料金(身体障がい者手帳・療育手帳・精神障がい者保健福祉手帳持参で本人と同伴者1名無料)
笠間工芸の丘
- 住所
- 茨城県笠間市笠間2388-1笠間芸術の森公園内
- 交通
- JR常磐線友部駅からかさま観光周遊バスで10分、工芸の丘・陶芸美術館下車、徒歩3分
- 料金
- 入館料=無料/手びねり体験(1時間10分)=2640円/ろくろ体験(1時間10分)=4400円/(送料別、障がい者は手びねり体験・ろくろ体験基本料金半額)
『茨城のトリセツ』好評発売中!
地形、交通、歴史、産業…あらゆる角度から茨城県を分析!
日本の各県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。茨城の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。思わず地図を片手に、行って確かめてみたくなる情報を満載!
【見どころ】 Part.1 地図で読み解く茨城の大地
・地形・地質総論 茨城県域の地質って?
・東の名峰・筑波山はもともと地下の巨大マグマの塊だった!?
・国内で2番目に大きい湖、霞ヶ浦はどのようにしてできた?
・壁面の岩に海底火山の証!名瀑・袋田の滝が誕生するまで
・平磯海岸の恐竜時代の地層から、アンモナイトや国内初のサメ化石!
・県南部で続々と化石発見! 茨城に生きたナウマンゾウ
・南北に約95m広がる大炭田、常磐炭田を生んだ地層と産業史
…などなど茨城のダイナミックな自然のポイントを解説
【見どころ】Part.2 茨城を駆け抜ける鉄道網・交通網
・特急「はつかり」「ひたち」が走る大幹線・常磐線
・第二常磐線構想で生まれたつくばエクスプレス
・奥久慈清流ラインの異名をもつ魅力あふれる水郡線
・めずらしい非電化通勤路線、関東鉄道常総線・竜ヶ崎線
・鹿島参宮鉄道に始まった、鹿島鉄道鉾田線の在りし日
・水戸~石岡を結ぶ計画も……幻の水戸電気鉄道とは?
・阿見線に加え谷田部線? 常南電気鉄道による幻の計画
…などなど茨城ならではの鉄道事情を網羅
【見どころ】Part.3 茨城で動いた歴史の瞬間
・水に恵まれた茨城に人が定住 権力が生まれる
・地方王権の誕生を示す県内最大の古墳・舟塚山古墳
・石岡に置かれた常陸国府とそれを取り巻く交通路の痕跡
・常陸で成長した武家の二大勢力 常陸平氏と佐竹氏
・源頼朝が佐竹氏・平氏討伐! 鎌倉御家人たちが入国
・長い不遇の時代を経て佐竹氏が常陸の覇者に返り咲く
・水戸で育った尊王攘夷思想 桜田門外の変や天狗党の乱に発展
…などなど、激動の茨城の歴史に興味を惹きつける
【見どころ】Part.4 茨城で育まれた産業や文化
・水戸藩に飲料水を運んだ地下水路・笠原水道
・東洋一の航空基地 霞ヶ浦海軍航空隊が置かれた街・阿見町
・2000万人超が来場した科学博、つくば万博の熱狂と跡地の変身
・鉱山開発と日立製作所の歴史
・原子力とともに歩んだ東海村の半世紀
・陸の孤島だった鹿島が臨海工業地帯になるまで
・野菜産出額日本一の街が茨城に!? 鉾田市で農業が盛んな理由とは
…などなど茨城の発展の歩みをたどる。
『茨城のトリセツ』を購入するならこちら
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!