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塩釜港の歴史:衰退していた明治時代
しかし、明治維新によって保護政策は打ち切られ、港は急速に衰退してしまいました。このような状況の中、村民らが立ち上がり、1882(明治15)年から漁港の整備が進められ、1887(明治20)年12月には塩釜-仙台-東京が鉄道で結ばれました。
塩釜港の歴史:活気を取り戻し大型船の入港も可能になった昭和初期
この頃、野蒜(東松島市)で進められていた日本初の洋式近代港湾の築港が断念され、塩釜港の外港である石浜(いしはま)(女川町)や荻浜(おぎのはま)(石巻市)に寄港する船が増えるとともに、日本郵船が横浜と荻浜に寄港する神戸-函館間の定期航路を開通するという出来事もありました。これを受け、塩釜港は小船を連絡して荷揚げをすることで、貨物の中継地としてにぎわうようになりました。
明治30年代に入ると、野蒜に代わる港湾として塩釜での築港が推進され、1915(大正4)年に第1期築港工事が始まりました。1933(昭和8)年に完成し、塩釜港には大型船も入港できるようになりました。
塩釜港の水揚げ量が増加し水産加工品の製造も盛んに
港の整備とともに、漁業の方法も発達しました。明治後期は底引き網漁業でイワシ、カレイなどが水揚げされていましたが、大正時代になると漁船の動力化が進んで沖合漁業が主流となり、塩釜港はメヌケの延縄船の根拠地となりました。同時に、焼ちくわや缶詰などの水産加工品の製造も盛んになっていきました。
塩釜港の魚市場が開設
1929(昭和4)年、岸壁の一部に屋根を設け塩竈町魚市場が開設されます。水揚げ量も順調に増加し、1936(昭和11)年には約12万トンに達しました。戦後、漁船の大型化などにより大量水揚げができるようになると、総水揚げ量の半分をサンマが占めるようになりました。昭和30年代後半からは、北洋海域での大型底引き網漁船「北転船(ほくてんせん)」の基地として多量の水揚げを記録しました。
塩釜港の歴史:水揚げ量がピークに達した昭和40年代
昭和30年~40年代にかけては、1951(昭和26)年の重要港湾指定などを受けて、商業に加え、工業港・漁港としての機能も高めようと、第2期築港工事が進められました。
1965(昭和40)年には新たな魚市場が建設され、1970(昭和45)年には水揚げ量が18万トンを超え、ピークに達しました。
塩釜港の歴史:生鮮マグロに特化して起死回生を図った
ところが、昭和50年代に入ると、200海里漁業専管水域の影響を受けて北転船の操業が縮小され、水揚げは減少。この時の打開策が、生鮮マグロへの特化でした。
なかでも、水揚げ量日本一を誇る生鮮メバチマグロで質の良いものは、「三陸塩竈ひがしもの」としてブランド化。こうした取り組みが功を奏し、塩釜港はマグロに強い漁港として不動の地位を築いていきました。
そして2001(平成13)年には、東北唯一の国際拠点港湾となり、「仙台塩釜港」と改称しました。
謎多き鹽竈神社(しおがまじんじゃ)
起源は奈良時代以前と伝わる鹽竈神社。多賀城の鬼門、陸奥国の総鎮守として信仰を集めてきましたが、延喜式の神名帳にその名はありません。現在の社殿は四代藩主・綱村が1695(元禄8)年に着工し、1704(宝永元)年に五代藩主・ 吉村が完成させました。
春には、国の天然記念物に指定されている珍しいシオガマザクラやソメイヨシノなど約300本が咲き誇ります。毎年7月には、 末社の御釜神社で、海藻(ホンダワラ)から塩をつくる藻塩焼神事が行われます。かつては釜の水色の変化によってト占(ぼくせん)も行われました。
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