四ツ谷用水建設の経緯
問題となるのが、水の確保です。洗い物などに使う生活用水、田畑を潤す農業用水、火事を消し止める防火用水、水車を回す産業用水。人が生活するためには何かと水が必要ですが、河岸段丘の上には水がありません。
そこで政宗は、広瀬川の上流から水を引き、城下町じゅうに張りめぐらせた用水路に流すことにしました。この用水路を「四ツ谷用水」と呼びます。
四ツ谷用水の建設と概要
四ツ谷用水は、1627(寛永4)年に着工され、2年後にひとまず完成。全体が完成するのは元禄年間(1688~1704年)のことです。
城下町中心部から西に3kmほど離れた広瀬川の上流から水を分け、潜穴(トンネル)や掛樋(かけひ)を通しながら城下北部を東へ流し、梅田川に合流させました。この四ツ谷用水本流は、城下でも標高の高い段丘面上に通されています。そこから何本もの分流を設けて、城下町全体に水を行きわたらせました。
四ツ谷用水の暗渠化と現在の姿
明治以降、近代的な上下水道の整備によって利用が減り、また自動車の走行のじゃまになるため暗渠化(水路にフタをすること)されました。流れが見えなくなっただけで、本流には今も変わらず水が流れ、工業用水として利用されています。
一部に流れが見える部分や、用水が利用されていた痕跡などが残ります。四ツ谷用水を感じられるスポットを回ってみましょう。
四ツ谷用水を感じられるスポット①:四ツ谷堰(よつやぜき)
仙台市青葉区郷六にある四ツ谷用水の取水口。広瀬川を斜めに浅くせきとめて水を分けています。
四ツ谷用水を感じられるスポット②:宮城県工業用水道沈砂池(ちんさち)
四ツ谷用水唯一の開渠部分。
四ツ谷用水を感じられるスポット③:聖沢掛樋(ひじりざわかけひ)
沢の上に樋を渡して水を流しています。現在の樋はコンクリート製ですが、江戸時代には松の板でできていました。
四ツ谷用水を感じられるスポット④大崎八幡宮(おおさきはちまんぐう)
かつて、入口にある太鼓橋の下に四ツ谷用水が流れていました。現在は暗渠になっています。
四ツ谷用水を感じられるスポット⑤:春日神社
参道を抜けたところに、炊事や洗濯をするための「洗い場」跡があります。水辺に下りる階段の痕跡が残っています。
四ツ谷用水を感じられるスポット⑥:支倉堀跡(はせくらほりあと)
本流と支流の結節点の跡。東北大学病院の敷地内にあります。
四ツ谷用水を感じられるスポット⑦:宝蔵院橋(ほうぞういんはし)
四ツ谷用水が梅田川に合流する地点にかかる橋。放流口から水が流れ込んでいるのが確認できます。
四ツ谷用水を感じられるスポット⑧:クリスロード・ハピナ名掛丁境界(ながけちょうきょうかい)
2つのアーケード街の境界部分の地面に、四ツ谷用水をモチーフにしたデザインが施されています。かつてクリスロードは町人の住む「新伝馬町」、ハピナ名掛丁は武士が住む「名掛丁」であり、町境に四ツ谷用水が流されていました。
四ツ谷用水を感じられるスポット⑨:壱弐参横丁(いろはよこちょう)
四ツ谷用水を流したことで城下町の地下に水が浸透し、そこかしこで湧き水が出るようになりました。壱弐参横丁には湧き水を汲み上げる井戸があり、今も現役で利用されています。
四ツ谷用水の往時の姿に思いを馳せよう
江戸時代、四ツ谷用水にはきれいな水が豊富に流れていました。要所には水門が設けられ、火事のときなど必要に応じて水量を調節しました。用水の清掃は藩の監督下で町民が行い、改修工事の際には町民も費用を分担するなど、官民が協力して維持にあたりました。
北六番丁を流れる用水の岸には桜並木が植わっていたため桜川と呼ばれ、自然の川と思われることもあったといいます。現在は暗渠化され、桜並木も残っていません。
町民の生活に溶け込んでいた四ツ谷用水。古地図を見ながら流路をたどり、往時の姿を想像するのもおもしろいものです。
仙台の町名の秘密
仙台の町名には、「町」が付くものと「丁」が付くものがあります。読み方こそ同じですが、「町」は町人が住む区域、「丁」は武士が住む区域と、身分制度に基づいて明確に使い分けられていました。
丁は下級武士の屋敷と上級武士の参勤時の屋敷で構成されます。町と丁の境は「丁切(ちょうぎり)」という木戸で区切られました。
「元(本)」や「新」、「南」や「北」が付く町名は、町の分割や移転にともなって改称されたものです。
町名や寺名のあとに「通」が付く町名は、その町や寺へ続く通りだったことを意味します。「小路」も同様です。藩政期には「通」や「小路」は道筋の名称でしたが、明治以降に土地から税金を徴収するようになり、一定の区域を表す名称となりました。
そのほか、東西に伸びる町を「縦町」、南北に伸びる町を「横町」といいます。道の両側に屋敷が配置された町は「両側町」、片平丁のように片側に屋敷が配置された町は「片側町」と呼ばれました。
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