目次
北上川改修計画の目的とは
もともと登米(とめ)地域の北上川の流路は定まっておらず、平野部は多くが低湿地の広がる未開の地でした。この地を手に入れた伊達政宗は、北上川の整備によって、新田開発と物資輸送ルートの確保を同時に行うことを考えました。
【北上川改修計画①】「相模土手」の築造
まず、政宗は家臣の登米城主・伊達相模宗直(だてさがみむねなお)に改修を命じました。
初め、北上川は登米北部を通って迫川(はさまがわ)に合流していたとされており、現在の北上川の流路には二股川が流れていました。北上川や迫川の氾濫で登米の低地部は、常に水害に見舞われていました。
そこで、宗直は「相模土手」と呼ばれる堤防を築いて北上川の迫川方面への流れをせき止め、二股川に合流させて流路を一本化しました。この工事は、1605(慶長10)年から5年間に及びました。これによって、登米では新田開発が進みました。
赤線部が開削・改修された部分。流路の変遷には諸説あります。
人柱にされた娘
宗直による北上川の流路変更は、非常に難しい工事でした。完成を急いで台風の時期でも作業を行ったため、多数の犠牲者を出しました。相模土手は完成後もたびたび決壊し、二代登米領主の宗貞によって改修されています。
この土手に、お鶴明神という祠があります。破れた土手を直す際、「生き土手にすれば、水に押し切られることがない」という迷信から、人柱を立てる案が出ました。ちょうどそこに弁当を届けに来たお鶴という娘が、人柱として生き埋めにされてしまいました。これを憐れんだ村人たちが、祠を建ててお鶴を祀ったと伝わります。真偽のほどはわかりませんが、改修工事の過酷さが思いやられる伝承です。
【北上川改修計画②】北上川・迫川・江合川の合流工事
さて、舟運を行いやすくするには、さらに流路を整理し、川幅を広げる必要がありました。ここで、長州出身の技術者・川村孫兵衛(かわむらまごべえ)が登場します。
1616(元和2)年から1626(寛永3)年にかけて、孫兵衛は北上川・迫川・江合(えあい)川を和渕山(わぶちやま)と神取山(かんどりやま)の間で合流させる工事を行いました。
これによって、上流まで舟で遡航することが可能になり、本格的な舟運が始まりました。政宗の思惑通り、流域で大量の米を生産し、江戸に送ることができるようになったのです。
赤線部が開削・改修された部分。流路の変遷には諸説あります。
【北上川改修計画③】明治時代に始まった洪水防止のための工事
一方で、狭い和渕の谷間に三川の水が集まるようになったため、上流側で氾濫が起こりやすくなっていました。これは明治期に入ってからも長らくそのままでしたが、1910(明治43)年の大洪水をきっかけに、洪水防止を目的とする改修が始まりました。
新河道の開削や追波川の拡幅が行われ、現在の北上川と旧北上川の形ができあがりました。この工事が完了するのは1934(昭和9)年のこと。宗直の工事から数えると、300年以上にわたる大事業でした。
赤線部が開削・改修された部分。流路の変遷には諸説あります。
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